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映画感想:「コカイン・ベア」にみる、はるか懐かしの北の大地の情景。
2023/10/18に観ました。#映画感想

あまり真面目なホラーと真正面からのグロが得意ではないので、気にはなりつつも職場の先輩の一押しがなかったら観に行かなかったタイプの映画でした。それ以外の部分を啜りにいくつもりで手羽先の軟骨周りのコリコリした部分を咀嚼する姿勢です。
95分でサクッと観られるスナック感覚の、スナック感覚で人間が死んでいく映画でしたね……でもちゃんとホラーの作法があって、笑えばいいのか怖がればいいのかわからんまま終わりました。思ってた人が生き延びて、思ってた人が死んだので生死判定むずかし……まあ全員死ぬのかなと思っていたのでこんなに生き残るんだ!?の驚きがありました。
劇中音楽が好きな感じの曲ばっかりで楽しかったし、静かに音を聴かせるところはちゃんと余計な音がなくてメリハリよかったです。音響でいえば負傷して息も絶え絶えの森林警備隊員さんの鼓動が緊迫するシーンでだんだんBGMを占領したところに、聴診器を口元に持って行って「熊が」っていうところも音の使い方を知っている人のやり方で満面の笑みになりました。
案内所に刑事さんが到着したとき、車から出て一回車内に戻ったとき(刑事さんが案内所を見てないとき)に案内所内から血まみれの手がバン!!!て窓ガラスを叩くところ、そして刑事さんはそれを見ていないからそのあと外側からのショットで窓に血まみれの手形がついているところ、ホラー映画の作法ですごく良かったですね。

熊が本気出して走れば車に追いつくのも、木登りができるのも、嗅覚が鋭いのも、母グマ(メス)が子育てをするのも多頭産なのもちゃんと生態をなぞっていて、なんちゃってよくわからない生物ではない熊だったので、道民は熊の生態そのものに怖すぎて泣いてました。だって……あれが市街地に出るんだもん…………こわ……えーん……泣いちゃった。映画冒頭に「事実に基づく」っていう断り書きが入る映画の視聴歴が「オンリー・ザ・ブレイブ」だけなのであまりのギャップに情緒がどうにかなりそうでした。
登場人物が多い割にさくさくと死んでいくので、スナック感覚というのがぴったりくるのですが、それぞれの視点から描いたらとても濃厚なサスペンスだったり、麻薬の売人のひりつくようなノアールだったりができそうな要素をたぶんに含んでいるのに、これは「コカイン・ベア」だから特に深い掘り下げもなく普通に人間は死にます。と言う感じでとても……警察官のお姉さんが裏切り者だったところとかめちゃくちゃいいじゃん1!!別角度のドラマで見せて!!!!!!ってなりました。でもこれは「コカイン・ベア」だから普通にそんなことどうでもいいんですよね。
誰かの人生は本当に誰になにも伝えることなくあっけない外的要因でどうとでも終わってしまう、という自然の摂理をそのまま人間側にぶつけてくる物語でとても良かったです。まあ……あれが市街地を闊歩してるので……道民は泣いてしまうんですが………道民って括ってるけど熊が出てくる土地のすべての人間は観るときにやや留意をした方がいい。タイトルとあらすじでネタバレには当たらない情報だろうから普通にあの…気をつけてください……道民じゃなくても泣いちゃうとおもうけど……道民はひとしおなので…………いやわからん、一度互角に熊と渡りあって生き延びたひとなら完全にフィクションとして楽しめるのかもしれないけどいやわからん……俺は熊と遭遇したことはまだないので………話が逸れました。

たぶん話の流れ的にそんなことないんだろうけど勝手に伏線に感じていること、ヘンリーが先に木の幹に二人のイニシャルを掘っていたから、ディーディーのもともとの聡明さと呼応して絵の具や服を足跡として残していくのに繋がったのかなあとかなんとか。たぶんそこまで考えてないと思うよのパターンではあると思います。ちょっとクマの脅威がのっぴきならない道民たちに観てもらいたいですね……感想を聞きたい…………。
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つらつら

映画感想:「ジョン・ウィック:コンセクエンス」で楽しむわくわく工夫教育番組感。
#映画感想

今回も極めて楽しくフィクションにしか許されない人の殺し方の工夫百選みたいな映像を最初から最後まで楽しんできました。フィクションの暴力、純粋であればあるほどた〜〜のしいな!!!!って俺の中の子供がきゃっきゃきゃっきゃする。人間性が最悪。
3作目の最後、だいぶぼろぼろのぼろだったから冒頭から元気な姿を見られてよかったです。でもそのあとからボロボロになっていくんですけど……でも思ったよりボロボロじゃなかった。ゴミ箱の上にぶち落ちたりしなかったから綺麗な死に様でしたね。
以下、とりあえず言いたいこと。
・なんだそのトンチキな弓道場は。でも射手の前を横切るのは真田広之が悪いよ。コウジが悪いよ。
・なんだその国立新美術館の外観をしたコンチネンタル大阪は。
・その梅田駅はどの梅田駅なんですか……?????これが横浜駅だったら崎陽軒の店舗で現在地が特定できたのでなんの問題もなかった。
・あの背景にある槍の飾りみたいなの絶対使われると思ったのにノータッチで寂しかった。
・室内近接戦で弓使う意味 is なに!?
・至近距離戦で弓使うのレゴラス以外で初めて見た。アキラさんはだいぶ昔の先祖にレゴラスいませんか?
・野菜とか魚介類ってちゃんと書いてある冷蔵庫が武器庫だったとき声出るかと思った。そんな雑で誰でも考える収納の仕方があるか。あと剥き身の刀はやめてやれ……なんか…鞘とか…………白鞘でもいいから入れてやれ………湿度管理完璧なんですか?あんな厨房のそばで?固定資産税とか減価償却とかどうなってるんですかコンチネンタル大阪は。
・事前情報でバレではないけどバレみたいな、コンチネンタル大阪でのアクションシーンで飾られている工芸品とかは全部本物なんだよ!って制作者がドヤのテンションで語ってたインタビューみてだいぶ萎えていたんですけど(ものを大事にして欲しいので)、国立新美術館のコスプレしたコンチネンタル大阪があんまりにもネオンでギラギラすぎて結構霞んでてシーンとしては楽しめました。まあ破損を伴うシーンに本物使う意味は全然一生わからないんですけど……。
・ネオンで言えば「初志貫徹」はいいとしてその光り輝く牧野は誰なんだよ!??!!!!!
・ラストシーンも含めると結局なにしても復讐や暴力は虚しいって話ですか……?まあ死に様は生き様なので、ジョン・ウィックにとってはあれが一番良かったんだろうな。スーツを脱ぐの、いままでのこだわりとかプライドとかそういうものを全部脱いで、「あの侯爵を殺す」という純粋な一つの目的しかない魂のままの姿みたいで美しかったね。あと最後一発撃ってなくない…?って思ったらその通りで大喜びでした。30歩の距離で致命傷ではなくとも肉体からは外さない男が、10歩の距離で外さないわけがないのよ。
・たぶん2023年にかけての映画界隈でのトレンドは「車両の両扉紛失フルオープンのまま観光名所をドライブする」なんだと思う。
・「路上で突発的に予測不能な乱闘が発生しており、あきらかに加害の意図を持って運転者両側に人間が投げられた」場合の運転手への判決、前例がなさすぎて法曹界のひとびとの苦労を偲んだ。
・コンシェルジュの人〜〜〜!!!!!!!!推しでしたがまあ当然のように死にました。ただし日本公開前に役者さんご自身がご逝去あそばしているのでそこへの心の動きは終えているところあったので最後までありがとうございましたの気持ちです。スピンオフドラマ観ます。
・ちらっと見かけた他人の感想で「殺すことが目的だから三時間ずっと虚無」みたいな感想があって「ほ〜〜ん????」(ジョン・ウィックシリーズを人間がごちゃごちゃと死んでいくのを楽しむ映画だと思っている人間のきもち)と思ってたんだけど、あれは復讐とか暗殺とかそういう行為に走る人間の全てが虚無であるし人間はいつか死ぬんだよという物語でもあるのでそれ以外のなにかを求めていると確かにね…という感じ。一理ある。
・そういう意味ではヘレン・ウィックが一番幸せな死に方をしたのだな……残していく当事者にしかわからない苦しみはあったろうけど、ケアのために子犬を残すこともできたし、愛した人を愛して、愛した人から愛されたまま死んだから………ジョン・ウィックもそうですがそこに至るまでありすぎるので………愛した人を愛したまま、愛された人から愛されたまま、からっぽで死んだのがジョンウィックです。
・なぜか最後のウィンストンの「ダスヴィダーニャ」(ロシア語で「さようなら」ニュアンスは「また会おう(再見)」に近いらしい)だけ聞き取れてそれに一番びっくりしました。畳む

つらつら

映画感想:高度に発達した菌糸類の世界は宇宙と区別がつかない。
「素晴らしき、きのこの世界」を観ましたの感想。#映画感想

きのこ、食べ物としては全く一切ほぼ全部を受け付けなくて(ぎり舞茸とえのきがいける)、幼少期から「俺たちは別々に生きていこうな」ってもののけ姫みたいな一方的決別をしていたんですが、食べ物ではなくもっと大きな幅広い視点かつきのこたちが持つ細胞や神経への作用に対してのピンポイントな視点が同時に存在している化学や医学からのアプローチはめちゃくちゃ面白かったです。
ただ俺は以前に地球環境系ドキュメンタリ(NetflixがYouTubeで公開している「Our Planet」シリーズ)を観ており、海洋環境についてクラゲが取り上げられた際に「人間の役に立たないから研究が盛んではない」ということを情報として持っているのでその辺に関しては「おあぁ……(人間に有用な部分があるからこうやってあらゆる人たちが研究をしている)」にもなりました。

途中できのこの成分が癌に効く、という要約するとやば代替医療みたいなくだりがあるんですが、それもきちんと前段階として「きのこが持つ幻覚作用が人間にどう作用するかの研究の一環であるみたいな段落があるし、研究者自身が「敬意と注意を要する」ってきちんと言ってくれているので良かったです。
幻覚作用のあたりはどうしても科学的にまだ観測できないようないわゆるスピリチュアル、超人的、言葉にできない体験、とかそういう類の話になってしまうので折り込むの難しかったろうな、と思うけれど、主題としてとりあげられている研究者の人が過去にマジックマッシュルームを規定量かもわからず摂取した結果ずっと悩まされていた吃音がそのあとから収まったという体験がある人なので、これは視聴する側での留意や確認がつどつど必要なやつだな……と思いました。ドキュメンタリと言ってもね、人間が喋ってる分には多大にその人の主観が入っているので、その辺をきちんと観る側が情報を選別してから信じる信じないにつなげていかないといけないところありますからね。人間が出てこない動物や植物に関してはそのへん主観が伝わらないからまた別の留意が必要なんですけど。
あとその人が読んで感銘を受けた本の著者がエキセントリックドラッグキメキメ模様みたいなきのこ柄のTシャツ着てて手叩いて笑った。いいですね。

上記のらへんで語られる「きのこ由来の幻覚作用がアルコール依存症の改善に有用」からの「それが世間一般に広まってしまい、米国政府が規制に動く」までの物事の流れがあまりにも人間すぎて「人間は愚か………」が口から飛び出してくるんですが、今持って世界は常にそうやって動くし、俺たちがまったく正確な情報に触れられているかというとそうではないし、そもそも研究途上で弾き出された結果としての情報はその時点での結論でしかなくて今後もずっと変わっていく可能性や検証によって覆る可能性がずっとあることをきちんと把握していなければいけないんだな、と昨今の身の回りを見て思います。
そして余生における優先順位を考えましょう、とまで言われた癌患者さんが幻覚作用を摂取して(医師監修のもとでやってる合法的なやつです)言葉にできない体験をしたときの感想がすごく良かったです。自分は愛されているし、自然は愛でできていて、そのなかの一つでしかなくて、すべてはつながっていて、自然とはいずれ死ぬものだから死ぬことが怖くなくなるっていう、きっとずっといつその時が来るかと怯え続けていたひとにとっての真の安寧にほど近いものが得られるのなら、とてつもなく注意は必要だけれど本当にそれを必要としているひとたちに届くといいなあと思いました。一つの情報しか得ていない素人一般人の感想だけど。
愛と死と生物としての自然との連続性、一見関係がなさそうですべてがつながっていて、人間が自然に頓着しないということは翻って人間がいずれ身を滅ぼすことになるという、全部連なっていることがらの輪郭がなんとなく見えるか見えないかの違いなんだろうな。

本題と全然関係ないような気がするんですが、けっきょく世の中のあらゆることの解明ってこの映画に出てくるような何か一つのことに熱中し、取り組み、試行錯誤を厭わずそれをマイナスな行為だと思わないひとびとによって為されていって、もちろんそうでない性質のひとが理性や義務で取り組むこともできるけれど、そうじゃないひとたちに圧倒的に天賦の才と読んでもいい有利さがあって、肉体や精神的なことで失われることはあっても心身ともにそこそこ健康であればその熱意や注意は損なわれることが基本的にはなくて(一回創作やってても心身の均衡ですっ転んだからめちゃくちゃ予防線貼ってしまうくだり)、そういったひとたちをネガティブな意味での呼称(オタクとかいろいろ…もろもろ……直接的にキモいとか言われるし……)を用いて一括りにするひとたちって、なんとなくの偏見だけどスポーツやその時持っている若さなどのこれから衰えて失われていくことがある程度約束されている要素の中に自分を見出したひとたちなのかなあとぼんやり思いました。

なんにせよ、人間にとって有用な分野が今後も伸びていくといいし、一見なんの役にも立たないけれどなんかやりたかったから、で研究が続くような社会が今後もずっと続いて欲しいなと思いました。
「理解すれば興味が湧いて、興味が湧けば守りたくなる」という言葉がものすごく良かった。あと幻覚成分が世間一般に広まるあたりで「フラスコの外に出る」みたいな言い回しを原語でしていてめちゃくちゃ良かったです。
きのこ、人間の生き死になんかに全然振り回されないまんまこのまま地球上を生き延びて欲しい。俺たちに構わずただ淡々と存在していて欲しい。言われなくてもしているから、今後もずっとそうあれ。畳む

つらつら

映画感想:金属生命体による自発的な同時多発交通事故は健康に良い
「トランスフォーマー/ビースト覚醒」の最初から最後までネタバレを含みます。タイトルちょっと意味わからないかもですが、アクションシーンのことです。#映画感想

推しが!!死んだが!!!!!?????
いえ、これについてはもうトランスフォーマーシリーズ実写版全作品、その作品で好きになったキャラが死ぬという脅威の致死率100%が更新されただけなので全然良いんですけど、よくないが?!?!?!!!!!!!!!よくないが!!!!!!!!!!!!死ぬな!推し!!!!!!!!!!!!
エアレイザーさん……大好きだったのに…………………しかも帰宅して調べて知りましたけど声、ミシェル・ヨーじゃん…そんなの格好いいに決まっている………オプティマスプライマルとの戦友感もすごくよかったですね…とても……俺はあそこに関係性を見出しましたよ……まあ…死んだんですけど…………………どうして………………。

一旦本題に戻ると、俺が人間と人間以外の種族が出てくる物語に求めているものって「人間の世界のことわりなんか知ったこっちゃないよ〜」という人外(あえて人外と一括りにします)側の全然噛み合わない行動理由で生じる人間への理不尽さなので、その点で言えばトランスフォーマーシリーズは全実写版がすべからくそれなので大好きなんですね。
今回ももれなく「俺たち公共の施設(壊滅する博物館)とか知りません」だったし「追っかけられてる!逃げなきゃ!(大破するパトカー。まあよくある)」だったしめちゃくちゃよかったです。前情報予告くらいで何にも時代設定とか知らずにいったので急に1994年をお出しされて「ん?!い、いつ!?」になりました。この世に存在はしていたんですけど全然覚えていないくらいの年代だな……世界の雰囲気がわからない。でも変に時代が最近のせいでノイズに感じるモブの行動(スマホで撮影する行為とか。まあそれが薙ぎ倒されるのは観てる分には大歓迎なんですけど)がなくって、すっきりとした環境で金属生命体たちの動きに集中できたのはあります。むしろそのためなのかな、変に人間をちょこまかさせると金属生命体たちが困るので。いいな、人間以外の種族ファーストの姿勢、好きだな(そうではないと思うよ)

本編中盤からクライマックスにかけてペルーの自然豊かな森林でどったんばったんおおさわぎ(けものフレンズ)だったのできゃっきゃしてました。なぜなら俺は古代文明が好きだから、マチュピチュにも当然心をときめかせているから。遺跡、いつぞやのピラミッドみたいにぶっ壊されたらどうしようと思ったらそこは比較的平穏で「そんな凶悪な山があるか」という凶悪な山が生えてたので安心しました。もうあの塔が出てくるところLotRの二つの塔でしたね、オルサンクではないです。
塔で思い出しましたけど、どうしてトランスフォーマーシリーズのいわゆる悪属性側って車のデザインとかあらゆるデザイン面で「悪!!!」みたいな嫌なデザインしてるんでしょうね。あの斥候というか小間使いロボ(犬みたいな形の壁とかから出てくるやつ)も口の中にそんなギザギザ要ります!?みたいなデザインだし、なんかもう暴力に全振りしましたっていうデザインでいっそ気持ちがいい。見ていてわかりやすい。逆にそういうのじゃない、オートボットやマクシマルたちに近いデザインで悪役みたいなのも出てくるのかな。それはあれか、二作目でやったザ・フォールンがそれにあたるのかな。一応初代プライムのひとりではあったし。この段落ずっと「リベンジ」の話してる……。

細かいところだと最初の主人公が面接を当日キャンセルされるくだりとか、インターン生のエレーナに自分の服のクリーニングという明らかに業務外のことを押し付け、その上で手柄を横取りする上司とか(エレーナの遅刻に関しては原語の方で「three times」だっけ、とにかく複数回目であることが示唆されていたのでそこに同情はできんが……良いように捉えるならあんなふうに毎日遅くまで研究のために居残りして疲れて寝てしまって生活がぐだぐだとも取れるけどそこは生活してもろて…にちょっとなる)、人間社会でどうしたって避けられない構造上の抑圧にぐえ…となるんですが文字通りそれをぶち壊す金属生命たちたちの構図がいつ見ても美しい。
「バンブルビー」の続編の扱いらしいのもさっき調べて知ったので、「バンブルビー」の内容を思い出すのに必死なんですが、確かにあの映画の続編ならオプティマスが人間を信用していなくてもおかしくないし、まだ自分の故郷への帰還にやっきになってる時点なのもなるほどな、なので時系列に違和感なく溶け込むのがうまいですね。本当に映画作りがうまい。
最後のGIジョーのくだりだけわからなかったんですけど、過去にクロスオーバーしたことがあるらしくて、次回以降いつでもクロスオーバーできるような伏線だったぽい…?わかりませんが双方の作品にとって良い結果になるといいな〜。

ミラージュ、とても好きだっただけに最後の最後で「あ!?!?!!!!!そうなる!?!???!!!!!!!」ってなったし、途中で自分の一部を人間に装着できる形状で貸し出すのも伏線だったので気持ちがよかったです。画面上に写るもので回収されていない伏線がないのでは?映画作りがうまい。
あとバンブルビーが一回死んだのでマジで「俺の推しを殺す力がビーにも及ぶことある!?」になりましたが、予告映像で上空から落下しながら戦闘に参加するシーンを見ていたので「あこれ途中で生き返りますわ」になりました。なんでエアレーザーさんは生き返らないんですか…?もうサビサビだったから……?どうして………。
エネルゴン洞窟の中で岩座に横たわっているバンブルビー、マジのお姫様でしたね。トランスフォーマーシリーズのヒロイン、バンブルビーなのでは…ラピュタで言ったらシータの趣がありました。あのシーン。エネルゴンは青く光るしね。パズーがだいぶゴツいというか、自立しているシータになるんですが………戦闘員だし……。

さておき、オプティマスが「that is bad idea.」(それは悪い考えだ)みたいなこと(聞き取り不安)言ったとき脳裏をコンボイが「わたしに良い考えがある」って言いながら通り過ぎていって劇場で大声出るかと思いました。
あと主人公に車泥棒を勧める近所の人がずっとあのアメリカで一番まずいグミでしたっけ、とにかく評価が最悪のあの赤いネジネジのキャンディ食べてて「剛のものじゃん……」って思ってました。あれ美味しくないらしいので……食べたことないけど……。
そしてトランスフォーマーシリーズは低音をはじめとする「音」の部分がものすごく重要で大切な要素なので、頼むからDolby Atmosで2D上映してくれ〜〜〜!!!!!!!って3D酔いする人間は叫んでいます。たのむ、IMAXでもいいから2Dでやってくれあれを………。畳む

つらつら

映画感想:「探偵マーロウ」の静かで正当な、横におしゃまさんを置きたさ。
おしゃまさんのくだりは完全に本編と関係ない俺の願望がはみ出ました。#映画感想

いやだって………長身で散々作中でも「でかい」って言われてるならあの時代としても相当に大柄の部類でいらしたんでしょ、マーロウさん。であれば!であるならば!ちょっとおませないいとこのお嬢さんをお隣にね!できれば5、6歳の自立もできるお年頃のね、賢いお嬢さんをね、こうね!配置するとね!世界が完璧になるんですよ。完全に余談から始まるタイプの感想文。本編に行きます。

あらすじというか話の流れは謎解きそのものやトリックの解明、複雑に絡まった陰謀、派手な逃亡劇…!というタイプではなく、王道のただひたすら地道に自分の足で調査する探偵ものです。なんとなく本編全体を通して「地に足をつけていること」が徹底されている印象でした。
我々はおそらく一度通過した基礎の基礎部分をもう忘れてしまって、直接的に摂取できる刺激をド派手なカーアクションとか肉弾戦とか緊張感極まる頭脳戦とかよくわからないけど技術の粋がつまったガジェットとか爆発とか、そういうわかりやすい視覚や聴覚から摂取できるものだと思いがちで、数字が簡単に見えてしまう「バズ」が目指されている取り組みがそこかしこにあり、おおよそ一人一台はスマートフォンを持ってネットワークに接続されて情報は以前よりも遥かに簡単に手に入るようになっているのが現状(その真偽は別として)。
その中で、だからこそ、本人が知らないことは知らない、見てないこと聞いていないことは知らない、相手が嘘をつけば欠けたままの情報がずっと残るだけ、という探偵もののものすごく基本的で大切な部分に忠実な話だったなあと思います。

どうしても推理小説好きでいろいろ読みあさって育ってきたので「顔が潰れている死体の身元確認はしっかりしろって百年以上言われているでしょ!!」っていう謎のおかん部分が顔を出しましたし、再現映像で思いっきりきちんと頭轢いてて自宅で見たら500デシベルくらいの大声出して手叩いて笑ってたシーンでした。そこまできちんとぐっちゃり轢くやつがあるかい!(あります。PG12だからね!一応ね!)カパキョンみたいな音出てて、ふふ…になりました。
途中から出てくるセドリック(運転手)がす〜ごい好きですね!またお前はそういう役回りを…死にませんでした!!!!(朗報。フォントサイズ300ptは最低でも欲しい宣言)登場人物たち、基本的にみんな自分の信念に基づいて行動していて、自由に見えるのだけれど全然自由とは遠くて、檻の中にいてままならなくて、欲しいものは手に入らなくてずっと足掻いていて、自分の足元が揺らぐのを恐れるくせに他人には横暴で、人間味があって楽しかったです。

ただ、全体の規模の割に名前がしっかり出る登場人物が個人的には多すぎてもうちょっとそれぞれの掘り下げほしかったなあ…という贅沢が出ます。クレアの夫とかそこまで…いる……!?と、これは本編を最後まで観た人間だから言えるわがままのたぐい。
途中で出てきた馬の様子がなんとなく落ち着かなげでちょっとソワ…としたけど…俺はうまが好きなので…ちょと気になったけど……でもあれで大丈夫なサインなのかもしれないし…人間以外は傷ついたり死んだ理しないのでいい映画です。動物が傷ついたり死んだりしないで、殺した人間がちゃんと死ぬ映画はいい映画です。フィクションでだけ許されることなので。

俺なら住人不在の家に行ったら初手でドアのガラス割って内側から鍵開けて入るな…と思ったけどあの映画のほぼ唯一の良心はマーロウなのでそういうことは起こりませんが、途中で起こります。初手でやらないの、お行儀がいい。シンプルに考えて最初から不法侵入はやり方が早急すぎるのでやらなかっただけなのですけど、途中できちんと不法侵入してて「い、今ここで!?お行儀が…よい!」になってしまったので、俺が普段どんな気持ちで推理小説とかミステリものに向き合っているかがバレてしまいますね。はい。俺なら初手でやります。
警察側の人たちも良心的と言えばそうなんですけど気遣いの出され方が淡白で小粋なので初回だとちょっとわからんかも……ただこういう「わからなかったな」、と思う表現をぶつけてくること自体が、上に書いたような『目指すところの一つではあるのだけれど俺たちはそれをやらない』という直接的でわかりやすい刺激としての表現ではない方法だったのかな、と勝手に思います。
舞台がハリウッドなのは原作がそうなのか読んでないのでわからないんですが(推理小説系はもっぱら国産で育ちました)、時代背景を抜きにしてもそのときそのときで自分ができることを最大限やる、という姿勢が一貫しているので観ていて安心感があります。マーロウが一貫して自分の信念に基づいているため(ちょっとやりたくねえなみたいな顔はするけどそれは役割に対してなので)、他の登場人物がいままでそうやってきたのであろう人を籠絡する手段が全然通じてないのもよかったです。色仕掛けなんも通ってない。ダメージ0。完全防御。それはそうよ。

薬を盛られた酒を飲んだふりして相手の懐奥深くに連れて行かれるあたりとかもスパイ映画の王道要素で、今はもう使い古されたとして見向きもされない手法が実に当たり前で普遍的な手段として用いられているか、そしてそれが決して見えはしないけれどたぶん世界中のどこかで今この瞬間にもおそらく起きている(捜査うんぬんではなく単に犯罪行為として被害者と加害者の構図で)、といううっすらした現実への反映が観る側のリテラシーによっては問題提起力(ぢから)がすごいな…という感想にもなりそうな映画です。

静かでずっと一本芯の通った、さわやかな後味ではないけれどまあ確かに人生に冒険が起きたとしてこのくらいだし俺は生き残れないな、と思える映画でした。
ところでリーアム・ニーソンってスターウォーズエピソード1のクワイ=ガン・ジンなんですね。全然知らなかった。俺の人生の最初期で死んだ俺の推しキャラでした…こいつまた推しが死んでる………。

キャヴェンディッシュの名前にずっと「絶対知ってるすぐ思い出せないけど…」となっていたんですが、思い出しました。自転車競技選手のマーク・キャヴェンディッシュ氏です。ついこの間(5月22日)にジロ(自転車レース名)で現役引退発表してて「ノァ………」になったからでした。余談。畳む

つらつら

映画感想:「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」を観ました。
全編にわたってだいたい「どうして」って言っています。どうして。#映画感想
長官が死ぬのは聞いてないですねぇ!??!?!!!って45000dBの声を出したんですけど、俺の推しはどうして死ぬんですか?致死率がマジで98%くらいを切らないんですがどうしてですか?死に様は生き様ですけどそれが見たくて観てるわけじゃないんですよできれば天寿を全うなさって?!?!?!!ぜぇはぁ、息が切れる‥…………どうして……なんやかやありつつも定年退職してカルフォルニアでサーフィンするイケイケじじいの名をほしいままにする余生とかを送れ………どうして……………………だから最新作でキトリッジさん出てきたのかな……ホイホイと長官の席を不可逆の理由で不在にするんじゃない……………………………どうして…………。

気を取り直して感想なんですけど、相変わらず物騒に次ぐ物騒、most of the BUSSOU、そうはならんやろなっとるやろがいのオンパレードで手叩いて喜びました。フィクションの中でだけ許される爆発と暴力とよくわからん理論と破壊と名前のない雑魚と定められたモブたちの雑な死はなんぼあってもいいですからね、フィクションの中でだけ許されてる最大のものだから。
冒頭のイージュリはご褒美なんですか?って思ったらジュリア本人出てきて「ジ゛ュ゛リ゛ア゛…………」みたいなジュリアを最大限拗らせたオタクの喉からしか出ない音を出しました。お、おれは…おれはイーサンとジュリアもでっかい庭付きの一軒家で気性の優しい人懐こい大型犬(できればゴールデンレトリーバー)を飼ってほどよくご近所付き合いをしながらまったりとなんの心配もなく暮らして欲しいという願望が非常に強くあるので……。

ご覧になりました?!最後の医療テントのベッドで目覚めた時にジュリアを見て喜びとかそういうのより先に「現実かどうか」を判断せざるを得ないイーサンのあの!あの目!!!!!おい!!!!!世界!!!!!!!!!おまえ!!!!!!!!!!マジでイーサンにあんな顔させる世界は俺が滅ぼした方がいい……俺が悪になります。そしてイーサンとイーサンの大事な人以外の全てを燃やします。でもそうするとイーサンが仕事をしないといけなくなるので悪を全て燃やす圧倒的な善になるしかない……人間を狂わす……………どうして…………………世界平和がないとイージュリが安心して暮らせないなら俺が世界平和をつくります……やります……………………ウッッッッッ…メタなこと言うとトム・クルーズがイーサンを自分の可能性の擬人化として扱うので無理なんですけど………………………どうして………………。

全然気を取り直せてないのでほかのことも言うと、ホワイト・ウィドウちゃんめちゃくちゃ可愛くて大好きでした。わかりやすい好みをしている。最新作の予告でずっと「この可愛い子は誰じゃ……………」ってともすれば人身売買してる人ですか?という感想をずっと抱いていたので…最新作にも出てきてくれるの楽しみすぎる!でもイルサの眼帯がだいぶあの!あれは一次的なものですか?!永続するやつですか!?イルサは隻眼でも全然強いと思うんですけどできれば五体満足でいて欲しくて……いやでも隻眼でもめちゃくちゃ好きです……はい…最新作に向けての履修のはずなのに各キャラを好きになっていくから不安しか高まっていかない。どうして。

M:Iシリーズ、基本的に回を追うごとに要素が盛りだくさんになっていく(そしてイーサンが無茶をしないといけない)のでお腹の底の方がずんぐりと重たくなっていくんですけど(推しも死ぬし。本当にどうして)、これはトム・クルーズはじめとする製作陣が楽しいだけであってイーサン自身は別にやりたくないっていうところがミソですよね…世界を燃やすしかねえ………どうして。
イーサン、なまじっか変装などを得意とするので人物のプロファイル能力が高すぎて明確な夢に敵役の人間を召喚してしまうの完全にかわいそうで世界を燃やすしかないと強く思います。やめろやめろ。最新作で「イーサンの幸せのためだから」っていって世界を燃やそうとするテロリストが出てきたらそれは俺と俺たちの総代表です応援よろしくお願いします。

イルサもなまじっか頭が良いのでイーサンご一行に急に巻き込まれて「なんとかする」っていう手法のみが選択されている状況を一瞬で「こいつらいつもこんなやべ〜ことやってんのか(そしてそんなやべ〜ことが起きてるんだな)」っていう呆れと納得と悪態が一緒くたになった表情してて「この人頭がいいな……」って思いました。そうだよ、常にそうやってるよ。
イルサがイーサンを徒歩で追いかけるシーン、あれ前作のイーサンがイルサをバックステージでちょこちょこ追いかけるシーンの反転なのかなって思いました。そう言う細かい要素たまに出してくるよねM:Iシリーズ。好きです。

あと交通事故からの重要参考人確保からの偽病室尋問、二作目のアップグレードで手叩いて喜んじゃった。俺はそう言う再放送(ただしクオリティは現状に即してアップデートされているものとする)が好き。
ところでイーサンとジュリアはおいておくとして、イルサとベンジーはなにか始まらないんですか?関係性が?ちょっと待ってください?あんな命を助けあいながらなにも?ベンジーだって可愛いマスコットポジションですけどやるときはやるでしょ!イーサンがウォーカーくんのこと追跡してるときずっと「平面と立体の視点の差だ〜!」ってきゃっきゃしてたら途中でそのことに気付いてもっと嬉しくなったので(俺はなぜかこう言う観客にだけわかる差異が平然と作中人物には感知されずに流されている状況が好き)ベンジーにはもっと頑張って欲しいけど自分を大事にもして欲しいです。

最新作二作でルーサーが死ぬことはないと思うんですが、これ以上俺の推したちが死んだら本当に世界を燃やします。イーサン、みて、きれいだね、なにもないよ。きみが命がけで何かと天秤にかけて護るものはもうなにもないよ。それがいちばんいいんだよ。わらって。畳む

つらつら

映像感想:「ステルス・テクノロジー 兵器最前線」シーズン1エピソード2だけ観た。
なぜなら軍用機のオタクだから。擬人化の民なのでちょいちょいそういう表現があるし扱ってるものが軍用機なので人を選びます。タグの統一のために #映画感想 にするけどドキュメンタリー作品です。

そもそも2004年のドキュメンタリー作品なので画面のアスペクト比が4:3だ!絶妙に良い感じのアナログノイズ感だ!と映像そのものに感動する間もなく、SR-71だF-117だB-2だB-1BだなんだかんだF/A-22(※1)だF-35だとステルス機のあゆみを全部おさらい!みたいなコンパクトさで次々と情報が降ってきて飽きない構成、うまいなあ。45分しかないというのもあるのかもしれないけど、時間の使い方と時間に対して取り入れる情報の取捨選択が上手い。
※1…F-22こと愛称ラプターくんは2002年に型式が「F/A-22」になったけど、2005年(この作品放映後)にF-22に戻ったので放送当時はF/A-22だった。

ステルス機、といえばおそらくだいたいの人がF-117を思い浮かべると思うんですが、それだけではもちろんないので、出るわ出るわ過去に好きで擬人化した機体たちが全部! でも競争(コンペティション)に敗れた機体はもちろん全然触れられもしなくて「歴史は勝った方が作るんだな…」をこんなところで感じると思っていなかったよ。新しいタイプの寂しさだな、これ。
F-22(打つの大変なので現在の型式でいきます)ラプターくんが各天候への耐久性試験で、屋内だけど雨や風を再現できる施設の中でめちゃくちゃ雪に降られて機体にごっさり雪が積もってたの可愛いすがたでした。あとラプターくん登場時の空軍の人のコメントが「(いままでの爆撃機※2などと異なり)ラプターは真の戦闘機です」みたいなこと言ってて悪い笑いが出ました。あと機体自体の格好よさって中の人も気にするのか「地上でも空中でも格好いい!」みたいなことも言っててにこやかになりました。急に人間味を出すな(人間ですが????)
※2…F-117の「F」は「Fighter」(戦闘機)の頭文字ですが、実質的にF-117は攻撃機的運用をされている。飛ぶの夜間だったし、そのほかにも機体にいろいろ制限がありすぎたのだ。

後半は開発途上の無人機にも触れられていて、将来的にはオンラインゲームが得意なオペレーターたちが無人機を最大4機同時に操作することを目指しているとかなんとか言ってるんですが、このあとに生まれた現状としては無人機パイロットのPTSD問題とかそのへん…そう……まだ夢があったよねこのころはね………という時代を感じるなどもしました。
そもそもこの番組自体がプロパガンダとしての素養を多く持っているのは判っている上で観てますし、過去の時点を一部分からのみ切り取った映像作品であるということも理解の上で観ているんですが、有人機に対して「パイロット(人間)を失うこと」を危惧して無人機の開発に注力している人間たちが、種として同じ人間たちにも被害が出るであろう作戦を自らの功績として語りながら同じ口で「戦争の犠牲者は少ない方がいい」とのたまうの、に、人間〜〜!!!!!!人間のあくまで片方からの、お、おわ〜〜〜!!!!自分に正義があると思っている人間の!!!!!ってなって吐くかと思いました。

俺は確かに軍用機も含めた無機物のオタクをやっていますが、絶対的に戦争には反対だし武力で抑圧し合うなんてことは可能な限り少なくかつ影響の及ぶ範囲が小さくあるべきだろ世界、と思っているタイプなので、毎回この辺は「技術の進歩や新しい性能がうまれるきっかけ、開発者たちがその無機物に託した夢やその無機物が成したこと、為せなかったこと、残したこと、残せなかったこと、残したかったこと」という残渣に勝手に物語を見出しているだけで、とはいえ戦争という出来事がそういう技術面を一番後押しするということもわかっているので苦しみます。
苦しみながら無機物のオタクをやっている。どうして。でも好きだから……なにかに執着する人間が一種俺たちにはわからない熱量でトランス状態の様相で語るそのものへのその人が思う愛の話が好きだから……それは祈りなので……答えるはずのない無機物への祈りなので………でなければどうして彼ら彼女らが自分たちの手がけた無機物を「he」と呼び「she」と呼び習わすことが連綿と続いているのか…………。

ともあれ作品最後の方でも言われていたように、無人機からのディスプレイ越し映像では判断できない誤射の可能性を潰すために有人機は決してなくならない、という発言からけっきょく人間が人間同士でものごとをやるための手段として計画設計製造運用される無機物たちと、そこに人間が勝手に祈りを覆いかぶせたりそんなもの一つもなかったり、愛称をつけたり人間のように呼んだり愛着を持ったりの、全部いびつでしっちゃかめっちゃかな片一方の理論だな!と思いました。この視点は忘れないようにしたいね……格好いい無機物、好きだよ。畳む

つらつら

映画感想:「おやすみオポチュニティ」を観て顔面が火星のように乾燥している。
なぜなら爆裂に始終泣いていたからです。鼻が痛い(かみすぎ)#映画感想

めちゃくちゃ頭がぼんやりしている………でっけぇ愛の話だった………。ドキュメンタリなのでこう、フィクションのようにストーリーのためだけの展開とかはなくて、ただあったことだけがドラマ性を帯びすぎているという一種「小説より奇なり」を地でいっている。野暮なこと言ってしまうと国家予算があるからとかそういうもにゃもにゃ性が出てきてしまうので今回は安全地帯からものごとを眺める俺を頭からかぶって書きます。

もともと無機物擬人化をやっていて擬人表現のすべてに弱い自覚はあるんですが、冒頭10分もしないうちに関係者の人が「スピリットとオポチュニティは双子(twins)で」とか言い出して椅子ごとひっくり返りました。どうしてそういうことするんですか!??!!!!!俺のための映画ですか!??!?!?!になったし、スピリット(姉)は故障や問題が多くてオポチュニティは優等生、とかいうそう言う創作設定大好きな人間たちを多く知っているぞ…みたいな発言も飛び出してしばらく床に転がり続けるしかないのかと思いながら起き上がりました。
人によってはずっと「she」って呼び続けてて、人によっては「オッピー(Oppy)」(原題は『Good Night Oppy』、オポチュニティの相性)て呼んでいて、動き出すことを「命を吹き込む」と言う人がいて、ただの電子基板と電線のかたまりが”命”を得てロケットに搭載されて宇宙へ行き火星へ向かうことを「我が子が」と表現する人がいて、に、人間〜〜〜!!!!!人間が無機物に向ける親愛の情〜〜!!!!!!と感情が大爆発してそこからもうほぼずっと泣いていました。
あと火星での1日のことを1「ソル」と呼ぶ新しい単位も知れましたね。ひょんなことで増える知識、好き。

最初の着陸時に10分程度信号が受信されなくて、着陸失敗か…?と部屋中が静まり返って息を潜めているときに祈る人間の表情はいつでも一緒なんだなあ、と思いました。
宇宙飛行ステーションに滞在する宇宙飛行士への伝統である”目覚めの音楽”を、伝統に則ってローバーたちにもやろう、と思って実行するところとかも、もうすでにひとつのいのちとして扱っててそういう細かなところでも涙腺がじわじわと刺激されているしで本当にこういう心の動き方をした映画を観たことがなかったのでずっと戸惑いながら「なんだこれ…」って言ってました。なんだこれ。いまもまだわからん。でも俺の葬式には流してくれ(怪奇!葬式に来たと思ったら火星探査機ドキュメンタリ観せられる会場!)
少し前にTwitterで日本人以外は特に信仰宗教の教義により、人間以外に知性を見出さないみたいな主語の大きいツイートを見かけた気がしたんですが主語巨大ツイートとかそういうのを差し置いても全部(範囲でか表現)嘘だな…と開始10分で思いました。これ余談。

目覚めの音楽の伝統はいつからか取りやめられてしまっていたのだけど、オポチュニティの目覚めを期待して再開するとか、人間が音楽に込める祈りそのものじゃん…!にもなったし、なぜ宇宙を目指すのかといえば古代文明でも星を見て暦が作られていたように人類は遥か昔からずっと星と共に生きていたよ、という発言にすべてが連綿と繋がっている歴史であると言うことにめちゃくちゃ泣いたし、いまはあらゆるものが細分化されて専門化されてただそれも通信技術で場所を問わず情報に気軽に触れられるようになって垣根がないようで大きくある世界になっているけど、人間はずっと星を見てそれを生活に根差し活かしてきたと宇宙に一番近いところにいる人たちに言われてしまったらもう、そうだねって泣くしかないんですよ。

途中でね、途中でスピリットが動けなくなって任務が終了してしまうんだけどね、というかこの二機はすでにすべての任務を終えているのでどちらも活動を終了しているんですけど、スピリットの責任者の人が「ハードワークだったから疲れていたんでしょう」みたいなこと仰ってて莫大な愛をくらって泣いていました。
同じチーム内でもエンジニアと学者たちが「あっこの岩いこうぜ!」「(ふざけんなよのまろやか表現)」みたいなやりとりもあったって言われてて畑が違うひとたちのそういうのNASAにもあるんだな、とにこやかになりました。ふふ。

ずっと幸運のピーナッツが引き継がれていたり、なんだりかんだり、本当に良い映画ですよ……良い側面しか描かれていないのだろうということを差し置いても………最後はパーサヴィアランス搭載のロケットが発射されるところで終わるんですけどそれがもう、俺は「過去の失敗や成功や得られたデータを活かして”次”につなげるための一石」が投じられる映像に弱いので爆裂に泣いていました。始終泣いているのでどこが一番かって言われてもわからんけど……うっ……俺は甲子園のサイレンを聞いただけでそこに至るまでにあったであろう各自や関係者の努力や切磋琢磨、切り詰めたであろうこと、取捨選択、挫折、回復などが勝手に想起されて泣く人間なので……………全ての創作で「それでも、」をやってきた身としては常にその繰り返しをやっているひとたちとその成果として運用されるローバーたちに感情移入しないわけがなかったのよね…………という感想文でした。はあ〜……俺の葬式に参列した人間全員これでブチ泣かせたい。畳む

つらつら

映画感想:「ワイルド・スピード/ファイヤーブースト」には慣性の法則があるから、いい。
最新作観てきた!!!最初から最後まで全部ネタバレに容赦がないし、ラベンダーに傷を負っているのでちょいちょい言及しているけどわからないひとはスルーでいいです。#映画感想

ネタバレではない感想ツイートで「車を運転すればすべてが解決した時代はなかったよ」との由、すでに見てはいたんですが本当に別にすべてのことが車を運転すれば解決していたわけでは全然ないからな!!!!!!!!でした。あ〜〜〜おもしろかった最高でした、ワイスピに我々が求めているもの全部乗ってました(車だけに)でも推しは死んだ。

推しは(たぶん)死んだ!!!!!!!

いやほんとどうして………どうして………ジェイコブおじさんはこれからの男だろ………何であんなに丁寧に「兄の子」と「ちょっとはちゃめちゃなおじさん」のファミリーロードムービーやってからのあれなんですか?いやわかるんですよジェイコブおじさんは兄にずっと引目があって前作のこともあって兄がずっと光の方にいたから自分は闇の、影のなかにずっといるって思い込んでて、それが前作で覆って明るいところを過去は変えられないし精算できないとはいえ(何せ普通にやっていることは法に反しているのでいるべき場所は全員刑務所である)、やっとファミリーを得て、ワイスピ世界で一番大事な家族の手を再び掴めたんだから、だから、そこに感謝をする男だから、恩を感じてしまうひとだから、恩返しをしようと自分の命を賭けられる生き様のひとだから、あそこで自分を犠牲にしてドムを生かすんだよ…そうだよジェイコブ・トレットとはそういう生き方の人間でありました………………推理小説をこよなく愛するものとしては死体を自分の目で見ない限り生きている可能性が否定できないし、ハン(推し)が死んだと見せかけて生きていたパターンもあるので明確に死んだと言われるまで「やや死んだ」という表現を使いますが……どうして………ちゃんと甥っ子に言葉遣いを正す極悪なひょうきんおじさんジェイコブ、永遠に推す。ドムと和解(したのか?)してから実は一回でいいからやってみたかったこと「誕生日ケーキをでかいホールケーキにしてみんなで食べる」とかをやってくれ。

ともあれ、ストーリーはいつものワイスピでした。ちゃんと重力と慣性の法則と遠心力がある世界は安心しますね。ばかすか車の馬力と速度にもの言わせて当然のように爆発するし、当然のように車を使って物事を解決します。そうなんですよ、ドムたちは別に車の運転ですべてを解決しようとしていたわけではなくて、すべての解決のために車を運転していただけで一つの手段でしかないんですよね。だから飛行機も出てくるしヘリも出てくるし、まあそれらも全部車の運転のせいで主に爆発などをするんですが、観客はそれを求めているので変なギミックでてくるたびにきゃっきゃきゃっきゃしてました。心の中の幼児が大喜び。でも俺は自分の乗っているバスにでっけぇ鉄球(何で中性子爆弾なんやねん)が突っ込んできて車体が真っ二つになるときの対処法を知らないので、頼むから防災センターとかで急に近くでカーチェイスが始まったときの対処法を教えて欲しい。あれはもはや公害だよ備えるべきだよ国民が。異世界転生でワイスピ界に転生したと気づいた瞬間、俺は四方を道路に囲まれていない土地に暮らすことを決意しますからね………でも飛行機の貨物室からバックでの車庫入れみたいな気軽さで車が落ちてくるからな………もうだめだな…………話が逸れました。

数日前に前作を観ていたこともあって直近の流れは把握しているし、予告編も観ていたので「ああ〜〜〜〜〜ええ〜〜〜〜〜!??!??!?!なるほど〜〜〜〜!!!!!?????」という純粋な驚きでずっと楽しかったです。さ、最後、最後潜水艦から出てきたひと誰ですが俺はマジでまったく人の顔と名前が一致しなくて………あとホルガ姐さん(ホルガ姐さんではない)がまた寒いところの監獄に閉じ込められて…かわいそう………どうでもいいですけど極秘機関の極秘刑務所みたいな字幕出たの、文字が重複しすぎてだっさくて好きでした。まともなフリしようとしてる頭おかしい組織の趣がある。口から罵詈雑言が時速150kmくらいで飛び出してくるようになるのもワイスピ観賞後の醍醐味。嘘です。

ワイスピ、全編を通してちょいちょい家族愛というか人間同士の絆に重きと善性を置きすぎている感もあるんですが、家族って言ったって他人同士なんだからそんなにみんながみんな「家族のために」って命かけたり奔走したりする必要は全然ないんですが、でも俺たちはそれをやるぜ!!!!っていう勢いがあっていいですね。他人のために自分の全部を賭けることができる人間は、過去に自分に対して周囲からそういう助けを得られたことがある人間たちなので……性根が悪だとそうではないので………あと今回はドムが目の前で犠牲になりそうな命を明確に選ぶ描写があって、そのあたりも今までと一線を画してきた感があります。
結局女を選ぶのかよ、みたいな感想を今のところは見かけていないのと、状況を考えると単に間に合いそうだったのがそっちだったという話でしかなくて、急に命の儚さをどでかい派手な爆発で学ばされて道徳の時間でしたあそこだけ。どうして?でもその前のガツガツに間合いどうしてやりあってレースだ!!って派手に花火が打ち上がりその余韻の火花を追うカメラワークで場面転換するのすごい美しくてよかった。
レース前のご挨拶、「Dante, Enchanté」が韻も踏んでりゃ「初めまして」の挨拶をよりあなたに会えてうれしいという意味も含めて親密な感じで言う挨拶で煽り散らかしてて最高でしたね。ラベンダー色の車(服装も)は思ったより照明効果などによりそこまでラベンダーぽくはなくて(ペールトーンみが強かった)そこからのダメージは最小限だったんですが、まあワイスピ界の車は基本的に無事以外は爆発炎上して大破するので、爆発炎上して大破しました。はい。致命傷です。はい。やつらを公道に出すな。

まあでも最後にすべてを解決するのは肉体の物理的な強さと爆走する車のドアを走行中に開けて同じく爆走する車の空いているドアに飛び込める勇気と胆力なんですが。あまりにも生きていくハードルが高すぎるワイスピ界。何回か言っていますがあの世界で車の保険会社は何社か倒産しているか、「急に巻き込まれたカーチェイスなどについては補償しない」みたいな特約があるからな。やってられるかあんなの……でも道端のいい感じのカフェとか可哀想だから普通に保険が効いて欲しい。あと前作にもあったけど急な爆発を伴うカーチェイスから飼い犬をかばっているらしきモブのひとがおり、よかった。
俺はDolbyシネマに魂を売っているのでもう一回くらいDolbyで観たいし、IMAXのめちゃ巨大スクリーンでも観たい……と池袋の方をチラ見している。原語でちょいちょい状況をバーベキューに例えてるっぽい言い回しが何回かあって(ドムがわりとな頻度でみんなでバーベキューしてるシーンがあるから当てつけてるのかな)とも思いましたがなにせ情報の取得に忙しくてそれどころではなく……英語字幕見たいな…………。

最後にロック様も出てきたし、ジェイソン・ステイサムのサンドバッグになってた人が思ったよりおもしろい格好(状況はとてもかわいそう)だったのでにこやかでした。次…で……終わるんですか!?話が?!な感じでしたけど、そこかしこで言われているサイファーとレティのタッグ、スピンオフしてくれ〜!!!!!って思いました。
強い女と強い女が手を組んだらそれはもう最強なのよ。かわいいな〜、かわいかったな…前作もそうでしたけどけっこうやっぱりみんな肉弾戦もやるようになっていて、だからわりと前作あたりから車の運転以外でも解決されてることあったよな……とは思います。でも命のやり取りは最大級の感情同士のやりとりなので存分にやって欲しいです。
でもやってることは全部ファミリーのためという建前を取っ払ったら全部子供の教育には悪いからな。そこは前提条件として注釈をつけておけよ、とトレット家の教育に物申し他人になってしまう。リトルB、健やかに育ち、道交法を守れ。

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つらつら

映画感想:「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」
最新作が日本公開されているので事前予習で観ました。配信にもなっているので今更ですが一応全部ネタバレです。#映画感想

(承前同タイトル)「ICE BREAK」まではスピンオフも含めて観ていて、そのはちゃめちゃ景気良くすべてが壊れていく勢いが許されている世界観が大好きなんですが、今回もまあ〜〜〜景気良く全部ぶっ壊していきましたね!!!最高です。俺はフィクションならなんぼでも人が死んでいいし(推しも死ぬが……)景気良く爆発して欲しいタイプの最悪人間性所持者なのでだいたい全編にわたって手叩いて喜んでました。キャッキャキャッキャ。幼児の心が喜ぶ。

とはいえ人間の顔と名前が全然覚えられないのでさすがにドム(主人公)とロック様とステイサム氏(もはや役名がわからない)くらいはわかるんですが、レティがホルガ(DnD)と同じ人だって知らなくて再生し始めてすぐ「ホルガ姐さん!!!!!」って声に出ました。基本的に映画を作品単体で観て、俳優つながりで別作品も〜とかしないので全然その辺がピンときません。
ワイスピ世界は基本的にフィジカルと車の運転、正確にはドムがハンドルを握ればその後ろの車両部分がいくら炎上していても何とかなるのでドムがなにがしかの車両のハンドル握ったら勝ちです。そういう映画です。今回も勝ちました。
あと途中で死んだとされていたハンが復活したのめ〜〜〜〜〜〜〜っっちゃくちゃ嬉しくて、情報としてネタバレ踏んで知っていたんですけど「やった〜〜〜〜〜!!!!!!!」って声に出ましたね。珍しく死んだ推しが復活した例でした。最新作でもちゃんと予告で生きてたのでにこやかでした。これから死ぬかも知れん……恐怖が増してしまった………どうして…………………話が逸れました。

前作の悪役サイファーのことあんまり覚えていなかったんですけど、まあ毎回なんやかや世界を救っているのでなんやかや悪役にとっては「クッソ」みたいなことが起きているはずだ、っていう認識でも話がわかるのがいいですね、本当に。ちょっと人の顔と名前と役割を思い出すのが大変ですけど、その辺もうまく序盤の方で動きで説明してくれるので基本的にはどこから観ても大丈夫なの助かります。
今回、宇宙に行ってしまったので最新作であといけるところって言ったら地中(マントルとかコアとか)か深海かエベレストの頂上くらいしか残ってませんが大丈夫ですか?車の運転で何とかなりますか?という観客の疑問をスピードと車体の強靭さでぶっちぎってくれることを期待します。ラベンダー色の車が出てくるらしいのでちょっとあの…心を強くしていきます…………(このアカウントはラベンダーに傷を負っています)

クイーニー女史大好きだったので今回も出てきてくださってやった〜〜!!!!!です。ワイスピ、過去の登場キャラもさらっと出てきてさらっと仕事して退場していくので変なしっとりさとかテンポが悪くなるとかなくてその辺も好きな要素の一つです。あんな贅沢なカーディ・Bの使い方あるんだ……。よくまあこんなに毎回、だいたい同じ話を違うバリエーションでやってくれるなあ、という安心感も好き。あと大体爆発するので好き………俺の創作が毎回爆発しがちなの、ワイスピのせいでは??とんだ責任転嫁だよ。
物語が終盤になってくると基本的に爆発、カーチェイス、爆発と爆発、みたいな様相を呈してくるのでこのあたりからだんだん記憶が定かでなくなり、爆発を浴びるしかなく、手に汗握って心の中の幼児をきゃっきゃさせるターンに入ってくるので「景気いいな〜〜!!!!!」って大喜びしている以外の感想があんまりないのですよね。

テクノロジーの進歩と、技術はあくまでそれを使う側の人間の善性に左右されるということを一作目からずっとやっているので、倫理がなくても犯罪行為でも無免許運転でも、技術を正しく使う(ただし物理的に可能かどうかは定かではない)点において信頼性があります。まあ………車を横転させたりするのは全然正しい使い方じゃないんですけど………。
近いうちに最新作も劇場に観にいきたいところです!楽しみ〜!畳む

つらつら

映画感想:「NOPE」はいいぞ、永遠にいいぞ。
大好き映画「NOPE」がアマプラ見放題になったので改めて感想すべてがネタバレ。#映画感想

本当の本当に一部ホラー映画の表現はどうしようもないとして創作をする人類みなすべて一回は観てほしい映画すぎて、ことあるごとに人様の耳元で「NOPE……いいよ………」って小声で囁く妖怪なんですが、いや本当によかった……………毎回良い……………。

けっきょくホラー映画の皮をかぶった怪獣大戦争映画だと思っているんですが、びっくり要素や怖い音がたくさんあるのは仕方ないね…という感じなのでおすすめし辛さと人の選び方が尖っているんですけれども、散々言われているように創作物をエンターテイメントとして消費するにあたって動物をはじめとるすもの言わぬ立場の弱いものの搾取や「見えなかったことにされている」もの、ものが言えるけれども同じものとして扱われない現状(人種や出自などのあらゆる差別)、これ(映画本編)を観てなにかを思っているお前たち観客はあのGジャンといういきものを「観て」いるので本来は喰われる立場にあるのだぜという静かな提示、撮影にとりつかれて自分の命がどうでもよくなってしまったひと、勝手に監視カメラの映像は見るけど(倫理……)すぐに「(馬の)家族だぜ」と言い返せるひと、そしておそらく人種と立場(おそらく映画制作において人間の言うことを聞かない動物は基本的に下に見られており、それにうまく言うことを”聞かせられない”調教師も含めて疎まれていても仕方がないのだ。だから仕事がない)のせいで最初から「なかったもの」にされているひとの放つ「見たかよ!」の声…………………すべてが………………。

ものを創るとき誰かを傷つけずに済むと言うことは絶対になくて、どんなに救いのある話であろうと「救い」が生まれるためには救われていない状況がまず発生していないといけなくて、それを無視して例えば主役を立てるためだけにマイナス部分を負わされているキャラクターが不可欠で、それが人間であったり動物であったりそのときどきで異なるのだけれど、往々にして「そういうところ」に置かれやすい属性ってどうしても決まってくるじゃないですか、淘汰で。
毎回最後が怪獣大戦争映画になるのはちょっと面白いな、と純粋にエンターテイメント作品を観る気持ちになるんですけどあの作品が抉りたいところを考えるときっとそういう「なんでだよw」みたいな軽い笑い(そしてそれは往々にして我々の無意識下の選別で”下”、”これは自分が笑っていいもの”という判断をくだされたもの)ですら観客が気がつかないところでやっている選別を狙ってきていてもおかしくないな、と思うわけです。

こういう考え過ぎか?という考察をさせるだけの余白と、情報量と、恐らくは、という予感や回収されなかった要素、あえて描かれなかった要素のことを考えると、ホルストの服薬の事情とか少し足に怪我かなにか抱えているような動きとか、エンジェルの家族構成とかバックグラウンド、ジュープのあまりにも人生の早い時期に経験してしまった神秘的(ともいえる残酷な、神は大体残酷なので)な体験がこびりついてしまった魂のこと、あの世界には存在するけど特に今回の話には関係ないから描かないぜ、で済まされたあらゆることが「その不明点が気になって進めない」ではない程度に調節されて提示されるの本当にさじ加減に対しての感情が鋭い。

今週末、Twitterのオンライン映画部という集まりでみんなで観る予定もあるので楽しみにします。へへ……。畳む

つらつら

映画感想:「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観たよ!の話。ネタバレ。(初出:2023-03-08 15:52:41/くるっぷ)

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、全宇宙規模のでっかい家族愛の話で良かったな……その軸がぶれないので安心して観られた。
あくまで終盤の他人の願望救済もジョイの手を掴むために、そして離すために道を開ける必要があったからで、エヴリンにその救い自体を望んでない(あくまで副産物的に生じていた。結果としてジョイなるに追いつくと言う望みは叶う)っていうのがわかるのもとても良い。
ジョイの思春期の話であり、自分の性自認についての葛藤であり、母にそれを認められたいという家族属性の中で生き残るのに必要な要素を満たされないままの人間の姿であり、それはエヴリン自身の過去でもあり……得られなかったものをどうやって手放してあるいは手放さなくても隣においておけるか、と言う話だった。

自分が親にされて傷ついたことを、親として自分の子供にしたくない、っていうの、父親への反抗とエヴリン自身への自己救済(自分が自分を救うんじゃい)というエゴのかたまりの一片でよかったですね。エヴリンが最初自覚的でなくて、でも最後に一回ジョイの手を離してベーグルへ進ませること、それはジョイ(ジョブ・トゥパキ)の消失を願う直前の父親とは全然違う理由からなのもあの怒涛の映像の中であれだけわかりやすく描いたのすごいなあ。
結局、自分がされたかったことを他人にするという行為は遡ってしまえばエゴでしかないんだけど、そのときどきにおいて確かに他人への救済にもなりうるんだよ、って言葉で語るとごちゃごちゃとした注釈で本題が隠れるほど必要になりそうなところをあのライティングも衣装も重力もめちゃくちゃな画面の中ですっと出されるのすごい。

じわじわと咀嚼して思うところとして、途中、ソーセージハンドバースのエヴリンと税理士さんがパートナーになってところにいま(暫定的に”いま”とします。一番最低の「なんでもできる」エヴリンのこと)のエヴリンがジャンプしちゃって大騒ぎするところあるじゃないですか。
あれって、本編が「家族愛」(家族とは言え個人個人、別個体、あなたとわたしはちがう、個人間のでっけぇ愛の最小構成単位になりうる立ち位置、理解しなくていいから隣にいたい、いていいよって言って、)の話である以上、なんとなくだけど今後、家族を構成しているエヴリンやその家族たちにふりかかるであろう認知症のことも示唆しているのかなあ、とか思ったりもする。
急に人が変わったようになってしまっていままでの関係が難しくなる、ってそれだけ書くと「あ〜………」という理解というか結論が見えてもおかしくないなあ、と。まあこれは俺の母方の祖母が認知症になってしまっている昨今の現状が強く閃きに影響しているのかもしれないけど。ただね、忘れていくだけじゃないよ、っていう、寄り添いのそういう、やっぱあそこも家族愛のことだよなあ。人間と人間の最小構成単位を「家族」とした場合の。

家族愛の話でありながらも、家族愛がすべて!!!ほら!ってやってないところ。あくまで人間と人間の間に交わされる愛情っていうものの一つのかたちとしての家族という単位、共生構造であるだけでそれがすべてではないしそれが至上でもない、っていうのは散々描いてくれているので心がざわめかなくてよかったです。
参道家はめちゃくちゃにまともな家なので両親から幼少時より「家族といえど他人であり、他人である以上はお互いに敬意を持って過ごす必要があり、あなたが成人するまであなたは自分のことに責任を取ることが法律上できないので、その責任を追うために我々(両親)がいます」という説明をたびたび受けてきたのでフィクション作品の「家族」像を見ると「大変だな……」ってなることの方が多いんですが(ていうか九割そう。そうならないの、主人公たちが成人済みでこざっぱりした家族関係が描かれてるときだけ)「エブエブ」はそのへんもうまく見せながら最終的にあの家族は家族という単位にまとまりましたよ、でも全宇宙のほかのバースは知らんけどね、をやったのすごいよかった。
よかったしか言ってないけどよかったんですよ………とても……………!!!!!!!

思い出したらまた書くかも。畳む
#映画感想

つらつら

感想:「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」

観たよ!という感想です。角の先から足の爪の先まで全部ネタバレだよ。俺はアウトローなのでそういうことをする。

もともとは確か3月に「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観に行った時だったか、その後に観に行った「トップガン マーヴェリック」(こいつまだ本編観て…いや劇場でやってるのがおかし…いやこの話はあとです)だったか、とにかく何かを観にいったときに吹替版の予告が流れていて知りました。
映画、特に国外作品は基本的に原語で楽しみたい派閥なので字幕優先なんですが、吹替予告珍しいな〜と思っていたらなんだかんだそのあとチャンネル登録はしていないけど文化面の参照としておすすめに出てきたら見るという頻度で並走しているYouTuber三人組が吹替に抜擢されたとかやっていて、思わぬところからも目に入ってきたタイトルです。前説全部要らんなこれ。

そもそものゲーム自体を知らないにせよ、こちとら魂の住民票はずっと中つ国にある生粋ファンタジー国の住人なので魔法とか人間以外の種族とか鳥人間とか(ジャーナサンさん…………)特に違和感なく受け止められるタイプ、RPGはゲームで少しドラクエを嗜むタイプ。
この異世界、少なくとも現存地球世界との乖離をファンタジーだからという前提で受け入れられる人なら全員楽しめるんじゃないかな!という王道の話でとてもよかったです。
俺のようにひねくれて「王道ファンタジーでもたとえば主人公サイドの人間がこじらせるとか、もっと世界が一回滅ぶとかしないかな………」みたいなフィクションへの期待値最悪人間性を持っている個体に対しても「そもうちはこういうスタンスでやらせてもらってるんで」という提示が早々になされるから「アッハイ」で受け入れられます。

いろいろTLに流れてくる不可避の情報で「スーパーセクシーパラディン」という存在は存じていたんですが、思ったより出番が少なくて「えっっっっ?!」になりますし、そうなった上で「スーパーセクシーパラディン……………」になるのでそれも今までにない体験でめちゃくちゃになりました。俺が。
地下世界でのあのかつての仲間っぽい人たち(無差別に人を襲う化物みたいな描写の後にめちゃくちゃ意思疎通ができる個体たちが出てきてやや混乱した。時間が経つと冷静になってああなれるんだろうか)との一人大乱闘はなんだったんですか!?最初から死んでるから死ねないのにもちもちまるまるおでぶドラゴンちゃんさんのお腹におさまったら永久に消化されて復活してを繰り返すんですか!?肉体がなくても「死」の概念から外れているってことですか?!とか最悪人間性好奇心がめちゃくちゃ刺激されてそれどころじゃなかったですけど、あそこのシーンだけ完全に主人公たちが置き去りなので俺も置き去りにされました。あの体験おもしろかったな………。

これはツイートもしたんですけど、ゼンクがエドガンを助けようとした理由は間違いなく提示された通りなんですが、そこにほんの少しでいいからかつて「自我をなくし化け物になった親に襲われる子」だったゼンクが「自分がどうなろうと(少なくとも自我を失った不死の化け物ではないが)子を助けようとする親」のエドガンに個人的に思うところが一瞬でもいいからあって欲しいな、と思いました。
他のサーイ人がどうあれ(ソフィーナも意外と根に持っていたので)、わりと主人公たちも過去のことにとらわれがち(エドガンは奥さんのこと、ホルガは元夫のこと、サイモンは言わずもがな。ドリックは捨てられた過去のことは割り切ってそうだけどそこに端を欲する現状を守りたい、守り切れていないことについて)だからゼンクにもその辺少し合って欲しいなあ、という願望です。

個人的に魔法という人智を越えた力を期待される法則性のひとつが「解決できない事象もある」と明確に描写されるの好きなのでところどころにある「なんでもできるわけじゃない」に満面の笑みでした。
「できないところをどう工夫するか」が全体に一貫したテーマでもあると感じたので、本当に最初から最後まで作品に一貫したルールとテーマがあってそこからブレることがない作品でよかったです。

エドガンと奥さんの爽やかなイチャコラもめっっっっっっっっっっちゃくちゃ好きで好きで………ちょくちょく登場する青いトンボは奥さんの魂の比喩なのかなあとずっと思っていたんですが、そうでしたねあれね。手を離すんだよ………たとえそれがどんなに大事なものでも、手放して、見送って、自分を自由にしてあげる必要があるんだよ…というのをあの明るい本編を変にしっとりさせたりせずに描くのすごくよかったです。全推しカプにあのシーツの中でくすくすしてるシーンやってほしい。
たまたまなんですけど「トップガン マーヴェリック」も大事にしすぎてほとんど修復不可能なまでに壊したものを手放すことで壊れきらない話(でもある)なので、二連続そんな感じのものを観たな………と思いましたが、断捨離とかが定期的に流行る現存世界において自分が納得した上でなら今までずっと手を離さずに握り締めたものを、ふとその手を緩めてしまっても現状は失われるけどあなた自身は失われないよ、というのを伝えるの大事なのかもしれない。ゼンクも「死んだ人間を生き返らせたら新しい人生(死んだまま継続される時間軸)が消える」って言ってたしな。

ところでジャーナサンさんが何をしたっていうんだ。畳む
#映画感想

つらつら