2024年6月の投稿[3件]
2024年6月4日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年6月3日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
映画感想:劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』を観る前にはジムに行け。
たまたま時間の都合でジムでキツめの運動した後に観に言ったんですが、作中トレーニングシーンへの没入感が段違いでした、という話ではないんです。すべてがネタバレ。#映画感想
ウマ娘プリティーダービー、ゲーム作品として名前は知っていてたまにTLにファンアートが流れてくるなあ……と思いながらもゲームも触っていなければ実存の競走馬にも興味がなく、ただ生き物としての馬は好き好き大好きなのでその一点だけで突破できるだろう、という気持ちで観に行きました。あと感性を信頼しているフォロワーが絶賛していたので。俺たちは結局フォロワーの口コミを信じるよな。感性を信じてるから。
映画冒頭でちゃんとウマ娘とはなにか、の説明が入ったので「は〜なるほどそういうもの」という理解が早くて助かりました。すごいね、本当に何にも知らない人間が来ることを想定しているし、知っている人はおそらくゲーム本編の冒頭導入の読み上げみたいな感じで「はいはいはい」になるんだろうな、構成がもう冒頭3秒で上手い。どういうこっちゃ。
ところであの短い説明を聞くに「ウマ娘世界線は明確に現行地球世界に実存するあらゆる競走馬の情報を観測している」ことになるんですがそれはどのタイミングで行われたんですか?科学や技術でなんとかなっている分野なんですか?それとも生まれたウマ娘自身が「おのれたちはこういうものである」と語ったんですか?それであれば最初にそれを語ったウマ娘はもうそれは神話ですが………とよくわからんSF好きの魂が刺激されてしっちゃかめっちゃか。でもああいう競走馬の名前を魂に冠した存在であるからこそ、実際に生じたレースの結果とはまた違った結果を生むことができる、という全部の可能性に変えてしまうの本当に設定が上手い。別の作品を出してしまって申し訳ないけど、このあたり「刀剣乱舞」における「この本丸」設定に近いところがあるな。各プレイヤー(トレーナー)がそれぞれに築いたウマ娘たちとの物語を否定しない、すべてを「そうだったかもしれない」という可能性の話にするの、良い。あとレースにたらればの話をしてもね、というの作中で言及させるのメタでいいな……。
本当にずっとずっと画面が綺麗で絵がうまくてレース中のもう自分と世界との境目も曖昧になるような、薄皮一枚で爆発しそうになる緊張感と肉薄した本能で前に出る、言葉にするにもやぼったく遅い、ただただ走りたいという欲求の表現をああいう風にするの、すごくいいですね。初見の人間にも彼女らの見えている世界とはこういうものであり、それぞれに違いがあり、だけれど強い光はすべてを焼くし、強い光に焼かれたらずっと影がそこに残り続けるんだよ、という共通点もすぐにわかるし、圧倒的に光の話だった………。
柳の下にいるのは幽霊と相場が決まっているのでフジキセキさんも物語が始まった時点では幽霊だったし、アグネスタキオンさんは自分で幽霊になりにいったけど二人(一頭、の単位ではないよな………ウマ娘さんたちは……)ともジャングルポケットちゃんに再び太陽の下に引き摺り出されて幽霊ではなくなったの本当に良かったですね。それが本当に良かったかどうかはわかりませんがたぶん本ウマ(本バ?作中の表現でいうと)たちもにこやかだったので良かったのでしょう。
フジキセキさんの勝負服だけ本当にびっくりしましたどういうこっちゃ、そこは開いていていいところなのですか?!!!!!それまでに出てきたウマ娘さんたちの衣装、お腹や脚がそこそこ出ていてもセンシティブさはなかったのでびっくらこきました本当に。いやでもポッケちゃんも結構だったなよく見たら………肩が出ていないのでなんとなく大丈夫の判定をしていました。マンハッタンカフェさんの勝負服可愛かったな………あと明らかにペリーがいたな…………ペリースチームさん…か………!?お名前をね……ちょっとね…個体の顔と名前がすぐ一致しないもんでね…………!
アグネスタキオンもポッケちゃんと一緒で(すみませんがジャングルポケットさんと『ポッケちゃん』と呼ぶのがあまりにも可愛いくてよいので以下ポッケちゃんと称させてください)自分の限界を勝手に決めて勝手にそこまでだと自分の頭をずっと押さえつけていて、だから最後のポッケちゃんの走りで自分も走りだせたんだよな……同じ境遇の同士ではあったのだ。
ずっとアグネスタキオンさんのお部屋は燦々と陽があたっていてサンキャッチャーが無邪気に部屋中に光をばらまいて、でもそこでアグネスタキオンさんはずっと止まっているしかなかったから、柳の下から出るときに自分の部屋のカーテンを閉めて部屋中真っ暗にしていったのよかったな。本来あそこは空白の棺桶であるはずで、なまじ陽光が降り注ぐためにアグネスタキオンさんはあそこを開かれた場所だと思っていて、でも本当は棺桶なので中を空にして蓋を閉めていく必要があるのだよな……これは全部初見の人間の完全な無知に基づく感想なので細かいところは全部気にしないでください。
ダンツフレームさんも急に駆け上がってきたとき爆裂に泣いてしまった。みなさんお口を大きく開けがちですが歯並びがきちんとしていていいね……みたいなことを並行処理することで喉から勝手に嗚咽が飛び出していくのを防いでいるまであった。でも鼻詰まりがすごくてマジで呼吸が困難になった。途中からずっとわけわからんくらいずっと泣いてたので本当に訳が分からなかったな………大白熱本能大爆発激アツスポーツムービーでした。
でも途中出ててきた超巨大タイヤだけは本当に急で声出るのを止めるのがめちゃくちゃ難しかったです。予告で散々見てたけど、二回出てくると思わないじゃん。あんなん出して許されるの、ドウェイン・ジョンソン(ロック様)だけだと思っていた。ウマ娘さんでもあるんだな。
畳む
たまたま時間の都合でジムでキツめの運動した後に観に言ったんですが、作中トレーニングシーンへの没入感が段違いでした、という話ではないんです。すべてがネタバレ。#映画感想
ウマ娘プリティーダービー、ゲーム作品として名前は知っていてたまにTLにファンアートが流れてくるなあ……と思いながらもゲームも触っていなければ実存の競走馬にも興味がなく、ただ生き物としての馬は好き好き大好きなのでその一点だけで突破できるだろう、という気持ちで観に行きました。あと感性を信頼しているフォロワーが絶賛していたので。俺たちは結局フォロワーの口コミを信じるよな。感性を信じてるから。
映画冒頭でちゃんとウマ娘とはなにか、の説明が入ったので「は〜なるほどそういうもの」という理解が早くて助かりました。すごいね、本当に何にも知らない人間が来ることを想定しているし、知っている人はおそらくゲーム本編の冒頭導入の読み上げみたいな感じで「はいはいはい」になるんだろうな、構成がもう冒頭3秒で上手い。どういうこっちゃ。
ところであの短い説明を聞くに「ウマ娘世界線は明確に現行地球世界に実存するあらゆる競走馬の情報を観測している」ことになるんですがそれはどのタイミングで行われたんですか?科学や技術でなんとかなっている分野なんですか?それとも生まれたウマ娘自身が「おのれたちはこういうものである」と語ったんですか?それであれば最初にそれを語ったウマ娘はもうそれは神話ですが………とよくわからんSF好きの魂が刺激されてしっちゃかめっちゃか。でもああいう競走馬の名前を魂に冠した存在であるからこそ、実際に生じたレースの結果とはまた違った結果を生むことができる、という全部の可能性に変えてしまうの本当に設定が上手い。別の作品を出してしまって申し訳ないけど、このあたり「刀剣乱舞」における「この本丸」設定に近いところがあるな。各プレイヤー(トレーナー)がそれぞれに築いたウマ娘たちとの物語を否定しない、すべてを「そうだったかもしれない」という可能性の話にするの、良い。あとレースにたらればの話をしてもね、というの作中で言及させるのメタでいいな……。
本当にずっとずっと画面が綺麗で絵がうまくてレース中のもう自分と世界との境目も曖昧になるような、薄皮一枚で爆発しそうになる緊張感と肉薄した本能で前に出る、言葉にするにもやぼったく遅い、ただただ走りたいという欲求の表現をああいう風にするの、すごくいいですね。初見の人間にも彼女らの見えている世界とはこういうものであり、それぞれに違いがあり、だけれど強い光はすべてを焼くし、強い光に焼かれたらずっと影がそこに残り続けるんだよ、という共通点もすぐにわかるし、圧倒的に光の話だった………。
柳の下にいるのは幽霊と相場が決まっているのでフジキセキさんも物語が始まった時点では幽霊だったし、アグネスタキオンさんは自分で幽霊になりにいったけど二人(一頭、の単位ではないよな………ウマ娘さんたちは……)ともジャングルポケットちゃんに再び太陽の下に引き摺り出されて幽霊ではなくなったの本当に良かったですね。それが本当に良かったかどうかはわかりませんがたぶん本ウマ(本バ?作中の表現でいうと)たちもにこやかだったので良かったのでしょう。
フジキセキさんの勝負服だけ本当にびっくりしましたどういうこっちゃ、そこは開いていていいところなのですか?!!!!!それまでに出てきたウマ娘さんたちの衣装、お腹や脚がそこそこ出ていてもセンシティブさはなかったのでびっくらこきました本当に。いやでもポッケちゃんも結構だったなよく見たら………肩が出ていないのでなんとなく大丈夫の判定をしていました。マンハッタンカフェさんの勝負服可愛かったな………あと明らかにペリーがいたな…………ペリースチームさん…か………!?お名前をね……ちょっとね…個体の顔と名前がすぐ一致しないもんでね…………!
アグネスタキオンもポッケちゃんと一緒で(すみませんがジャングルポケットさんと『ポッケちゃん』と呼ぶのがあまりにも可愛いくてよいので以下ポッケちゃんと称させてください)自分の限界を勝手に決めて勝手にそこまでだと自分の頭をずっと押さえつけていて、だから最後のポッケちゃんの走りで自分も走りだせたんだよな……同じ境遇の同士ではあったのだ。
ずっとアグネスタキオンさんのお部屋は燦々と陽があたっていてサンキャッチャーが無邪気に部屋中に光をばらまいて、でもそこでアグネスタキオンさんはずっと止まっているしかなかったから、柳の下から出るときに自分の部屋のカーテンを閉めて部屋中真っ暗にしていったのよかったな。本来あそこは空白の棺桶であるはずで、なまじ陽光が降り注ぐためにアグネスタキオンさんはあそこを開かれた場所だと思っていて、でも本当は棺桶なので中を空にして蓋を閉めていく必要があるのだよな……これは全部初見の人間の完全な無知に基づく感想なので細かいところは全部気にしないでください。
ダンツフレームさんも急に駆け上がってきたとき爆裂に泣いてしまった。みなさんお口を大きく開けがちですが歯並びがきちんとしていていいね……みたいなことを並行処理することで喉から勝手に嗚咽が飛び出していくのを防いでいるまであった。でも鼻詰まりがすごくてマジで呼吸が困難になった。途中からずっとわけわからんくらいずっと泣いてたので本当に訳が分からなかったな………大白熱本能大爆発激アツスポーツムービーでした。
でも途中出ててきた超巨大タイヤだけは本当に急で声出るのを止めるのがめちゃくちゃ難しかったです。予告で散々見てたけど、二回出てくると思わないじゃん。あんなん出して許されるの、ドウェイン・ジョンソン(ロック様)だけだと思っていた。ウマ娘さんでもあるんだな。
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2024年6月2日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
映画感想:「オデッセイ」で人間の知性と善性を浴びよう。
主人公は1年半シャワー浴びてないけど俺たちは2時間で余すところなく人間の知性と善性が浴びられる。すべてがネタバレ。ダクトテープを持て。#映画感想
「いつか観るか」の箱に入れておいたのをようやく観ました。なんかちょいちょい配信から消えるので……これは配信作品にずっとつきまとうヒリついた緊張感ですな。冒頭から関係ない話をする。はい。
そもそも俺は人間の知性と善性に基づいた行動をする人間の映画が好きで(爆発とか膨大な人死にとかは別カテゴリです)、極地(極限の土地の意味。もちろん宇宙も含む)においての集団行動ができる人間個体には基本的にそれが備わっているのでその時点で爆裂に愛なんですが、「オデッセイ」は地球の原理も通用しないような火星という土地において人間が今まで培ってきた先人たちすべての知識の結晶をときおり「そうはならんやろ」のエッセンスでやっていくので本当に大好き映画になりました。
人間の顔がすぐに識別可能にならないので最初にアンテナにぶつかって吹っ飛ばされたのがマークだとぱっとわからなくて、ヘルメットで顔面の視認領域が狭いのと砂嵐の視界の悪さで完全にやられているのあまりにもリアル……と一人で画面の前で息止めてました。息をしろ。
潜水艦映画とかで水が入ってきて視覚的に空気がなくなるのを見るのがダメなので、思ったよりあっさりと置いてきぼりにされたのは船長の判断に感謝したんですがその後のマークの覚醒からセルフ手当までの間はずっと眉間に皺が寄っていました。作中のみなさんと匹敵するぐらい眉間に皺寄せてた自覚がある。あと最初はムキムキだったマークが後半でMAVに乗って宇宙服に着替えるあたり、もうガリガリになっちゃってて宇宙空間で一人でぎりぎりの生存をする過酷さが目に見えて腹筋に力が入った。生活ではなく生存をする日々のこと。
宇宙ステーションとか構造物として大好きなのでその辺が垣間見えるあたりはずっとにやけていたし、マークが自分の死を両親に伝えるのは船長にお願いしたいってメッセージを残しているところで泣いたし、砂と岩だらけの火星をローバーで進むマークをはるか上空から写したなんでもないあいまのシーンで以前に観た「おやすみオポチュニティ」を思い出して爆裂に泣いたし、宇宙空間に設置した基地で音楽流すのもあまりにも人間の祈りすぎて泣いた。
有機無機にかかわらず、人間に最後に残された善性は祈りになるんだなあ、と思いました。祈りとは人間に残された最後の、本当に最後の足掻きを一押しするもので、それを叶えるのは実際にその場にいる人間であって祈っている遠くにいる人間には何の関係もないのだけれど、それでも遠い宇宙の目には見えないところで起きていることがらについて、そこに自分たちと同じ人間のいのちが一個あって、そのたった一つに手を伸ばすことを諦めないのはこの世に存在するありとあらゆる言語すら届かない域にある人間同士の底の底の一番底にある希望って名前の祈りなんだよなあ。
LotRのオタクなので途中で急に指輪物語ネタ挟まったの笑っちゃったし、そこにおるのショーン・ビーンやんけ……でニヤニヤした。珍しくショーン・ビーン氏が死にませんでしたね。へへ。あと登場人物全員頭がいいので出てくるセリフもすらっと頭が良くて「あ〜たまがいい〜〜………」ってずっと言ってました。
可否を問うてまず方法が返ってきたとき「で、それって英語で言うとなに?」って言えるのすごくない?みんなずっと英語喋ってんのに?めちゃくちゃ良い言い方するやんけ……好き…………そんで全員の返事がイエスなのも好き………あんなに自分の子供に会えるのを楽しみにしていた人がスッとイエスを返すの、好き。自分の今後の人生で、そうだよね、助けられるかもしれない人間を助けないって選択肢がある人間は宇宙にそもそも来られないよな。
なのに急に海事法を持ち出して宇宙海賊を名乗り出すの、ほのかな精神的ストレスによる狂気が滲み出ていて好きだし、船のオタクをやっているので満面のにこやかが出たし、自分たちが立っているのは確かに地球ではないにせよ地表であるのに、だからこそ宇宙の全てを「海」と解釈しているの本当に人間が地球上から離脱できていない、根付いている感性で愛した。人間がこの水の惑星から出立しそこを変える場所だと認識している限り、すべての科学は宇宙を空ではなく海に分類するのだ…。
ダクトテープ先輩が相変わらず万能アイテムの扱いで毎度毎度活躍するたびに手叩いて喜びました。だ〜ははは!!!いけんのかい!!!!!!!
マークが終盤で自分の足元にある新芽に火星でじゃがいもの新芽にかけたのと同じ声掛けするの、全人類が好きな要素のたたみかけで本当に良かったですね。ところでマークも地上に帰還したときは無重力空間の癖でコーヒーをテーブルに置かずにぶちまけたりしたんだろうか、マークだけでなくクルーの人たちがそれやってると思うと可愛いですね。
もう最後の宇宙空間で必死に手を伸ばしてお互いの存在を掴もうとするところと、伸ばされたケーブルのオレンジが美しくて、一連の映像は映像美の勝利として額物に収められてほしいと思いました。人間は美しいものを見ると額縁に入れたくなる習性があります。永遠にそこで時を止めてくれ。そらファウストもそう言う。宇宙、好きだな…………の気持ちが新たになり、人類の知性と善性を信じていきたいし、信じていってくれ、この世、と強く思いました。
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主人公は1年半シャワー浴びてないけど俺たちは2時間で余すところなく人間の知性と善性が浴びられる。すべてがネタバレ。ダクトテープを持て。#映画感想
「いつか観るか」の箱に入れておいたのをようやく観ました。なんかちょいちょい配信から消えるので……これは配信作品にずっとつきまとうヒリついた緊張感ですな。冒頭から関係ない話をする。はい。
そもそも俺は人間の知性と善性に基づいた行動をする人間の映画が好きで(爆発とか膨大な人死にとかは別カテゴリです)、極地(極限の土地の意味。もちろん宇宙も含む)においての集団行動ができる人間個体には基本的にそれが備わっているのでその時点で爆裂に愛なんですが、「オデッセイ」は地球の原理も通用しないような火星という土地において人間が今まで培ってきた先人たちすべての知識の結晶をときおり「そうはならんやろ」のエッセンスでやっていくので本当に大好き映画になりました。
人間の顔がすぐに識別可能にならないので最初にアンテナにぶつかって吹っ飛ばされたのがマークだとぱっとわからなくて、ヘルメットで顔面の視認領域が狭いのと砂嵐の視界の悪さで完全にやられているのあまりにもリアル……と一人で画面の前で息止めてました。息をしろ。
潜水艦映画とかで水が入ってきて視覚的に空気がなくなるのを見るのがダメなので、思ったよりあっさりと置いてきぼりにされたのは船長の判断に感謝したんですがその後のマークの覚醒からセルフ手当までの間はずっと眉間に皺が寄っていました。作中のみなさんと匹敵するぐらい眉間に皺寄せてた自覚がある。あと最初はムキムキだったマークが後半でMAVに乗って宇宙服に着替えるあたり、もうガリガリになっちゃってて宇宙空間で一人でぎりぎりの生存をする過酷さが目に見えて腹筋に力が入った。生活ではなく生存をする日々のこと。
宇宙ステーションとか構造物として大好きなのでその辺が垣間見えるあたりはずっとにやけていたし、マークが自分の死を両親に伝えるのは船長にお願いしたいってメッセージを残しているところで泣いたし、砂と岩だらけの火星をローバーで進むマークをはるか上空から写したなんでもないあいまのシーンで以前に観た「おやすみオポチュニティ」を思い出して爆裂に泣いたし、宇宙空間に設置した基地で音楽流すのもあまりにも人間の祈りすぎて泣いた。
有機無機にかかわらず、人間に最後に残された善性は祈りになるんだなあ、と思いました。祈りとは人間に残された最後の、本当に最後の足掻きを一押しするもので、それを叶えるのは実際にその場にいる人間であって祈っている遠くにいる人間には何の関係もないのだけれど、それでも遠い宇宙の目には見えないところで起きていることがらについて、そこに自分たちと同じ人間のいのちが一個あって、そのたった一つに手を伸ばすことを諦めないのはこの世に存在するありとあらゆる言語すら届かない域にある人間同士の底の底の一番底にある希望って名前の祈りなんだよなあ。
LotRのオタクなので途中で急に指輪物語ネタ挟まったの笑っちゃったし、そこにおるのショーン・ビーンやんけ……でニヤニヤした。珍しくショーン・ビーン氏が死にませんでしたね。へへ。あと登場人物全員頭がいいので出てくるセリフもすらっと頭が良くて「あ〜たまがいい〜〜………」ってずっと言ってました。
可否を問うてまず方法が返ってきたとき「で、それって英語で言うとなに?」って言えるのすごくない?みんなずっと英語喋ってんのに?めちゃくちゃ良い言い方するやんけ……好き…………そんで全員の返事がイエスなのも好き………あんなに自分の子供に会えるのを楽しみにしていた人がスッとイエスを返すの、好き。自分の今後の人生で、そうだよね、助けられるかもしれない人間を助けないって選択肢がある人間は宇宙にそもそも来られないよな。
なのに急に海事法を持ち出して宇宙海賊を名乗り出すの、ほのかな精神的ストレスによる狂気が滲み出ていて好きだし、船のオタクをやっているので満面のにこやかが出たし、自分たちが立っているのは確かに地球ではないにせよ地表であるのに、だからこそ宇宙の全てを「海」と解釈しているの本当に人間が地球上から離脱できていない、根付いている感性で愛した。人間がこの水の惑星から出立しそこを変える場所だと認識している限り、すべての科学は宇宙を空ではなく海に分類するのだ…。
ダクトテープ先輩が相変わらず万能アイテムの扱いで毎度毎度活躍するたびに手叩いて喜びました。だ〜ははは!!!いけんのかい!!!!!!!
マークが終盤で自分の足元にある新芽に火星でじゃがいもの新芽にかけたのと同じ声掛けするの、全人類が好きな要素のたたみかけで本当に良かったですね。ところでマークも地上に帰還したときは無重力空間の癖でコーヒーをテーブルに置かずにぶちまけたりしたんだろうか、マークだけでなくクルーの人たちがそれやってると思うと可愛いですね。
もう最後の宇宙空間で必死に手を伸ばしてお互いの存在を掴もうとするところと、伸ばされたケーブルのオレンジが美しくて、一連の映像は映像美の勝利として額物に収められてほしいと思いました。人間は美しいものを見ると額縁に入れたくなる習性があります。永遠にそこで時を止めてくれ。そらファウストもそう言う。宇宙、好きだな…………の気持ちが新たになり、人類の知性と善性を信じていきたいし、信じていってくれ、この世、と強く思いました。
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いや全然よくないんですけど。そのほかのすべてがまったく一切合切よくないんですけど。「マッドマックス:フュリオサ」の感想です。鑑賞日は2024/06/03です。#映画感想
もう忘れてしまわないうちにこれだけ言わせてもらって良いですか。
いや乳首ィ!!!!!!!!!!!!!
なんで??????????前作も相当「ええ………」って思いながら本編中で誰も触れないから俺も触れて良いのかわかんないな、みたいな要素だったあの世紀末常時露出乳首チェーン、なんでそこをブラッシュアップしたんですか????あの乳首のシーンのせいで「乳首千切られたから最終ディメンタスの負け」みたいな意味合いが付与されうる可能性を誰も考えなかったんですか?????あとあのシーンに特に意味がないなら「本当になんでだよ」しか言えなくなるんですが本当になんでなんですか?????????????まあギリギリあのシーンがあることによってイモータン勢の異常さとディメンタスのちょっと頭の悪い(ただしそれは「たとえ電極が乳首に繋がっており極端に強い力がかかったときに万が一が発生するが、ないであろう」という人間の普遍的な善性や倫理によりかかったあの世界ではもうとうに失われ、特にあの砦では一切が存在しない価値観のもと生まれている発想であるからして、して、だからなんで乳首なんだよノイズがすごい)ところを描写することができ…で……、でき…………いや俺があらゆるものごとをできる限りポジティブかつ有意であったことを見出そうとする人間だとしてもだからなんでなんだよ、ずっと混乱してるよ。なんでなんだよ。わかんないよ世紀末が。わかりたくないな。
ともあれフュリオサ(子供時代)が脚ほっっっっっそ!!!!脚はっっっっっっっっっっや!!!!!!!!になり、ご母堂の勇ましさと育成方針(敵対存在に一矢報いたのを見て「よくやった」って褒めるの生き残るために戦闘に特化した人間の言い分で好き)を大喜びし、「ご母堂!!!!!!!」って大声を出し、そこからずっと人間をモノ扱いする世界観の主観たちに最低最悪の気持ちになり、フュリオサ……生きろ…………って続編(前作)を知っているのに祈っていました。
ディメンタスくんは頑張って世紀末になんとか人間の善性を残したまま支配を試みようとして、全然そんなことできるわけないので(支配を蔓延させるにはどこかの時点で人間性を完全に手放し決別する必要があるため)あんまりにも過去の自分と過去の世界、人間たちの相互扶助でなりたっていた社会のことを引きずりすぎたんだなあと思うし、その上でなんとか「なろう」としていたので本当は殺す予定のなかった変装した仲間たちを「マジに殺せ!」って急に翻して部下に反感を抱かれたりする。
オクトボスさんはたぶんディメンタスくんの中に残り彼自身が固執している人間性の部分を信じてついてきていたのだと思うけれど、だんだんと静かに少しずつ狂っていく、人間性を失っていくディメンタスくんに見切りをつけて翻したんだろうなあ。自分の部下をディメンタスくんに貸す(うわ〜〜人間をモノとしてやりとりしている〜〜〜最低限の世紀末の嫌さ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!にはなりますが)し、たぶんいままでディメンタスくんはちゃんと返してくれていたからこそなのでしょうけど、あのガスタウン襲撃でおそらくボタンのかけ違え、歯車の噛み合わなさが決定的になってしまったんだろうな。
そんでディメンタスくんとイモータン・ジョーに共通しているのはもっと広い範囲を救う可能性がある宗教を広めたらよかったのにね、と言う話。けっきょく環境自体が人間を守らない場合(単に人間が環境に適応できずにいるだけであって環境側からしたらそれこそ自然淘汰なので自然に淘汰されてもろて……の話なのだが)、人間同士で縋って生き延びあっていく場合、共通認識と共通的はあったほうが絶対に一致団結できるというのは数々の歴史が証明しておるので。
イモータン・ジョーはウォーボーイズにはそういう詭弁を使っていたけれど人間たちには完全に食料や水を占めるという物理的な支配しか行っていないし(おそらくはね。ウォーボーイズに与えられていた、盲目的に手足となって消費を受け入れるだけの魅力に足るだけの幻想を少なくとも与えていたのであればああはならないと思うので)、ディメンタスくんもなんかこう……がんばってあの暴力が罷り通る世界に適応して成り上がろうとしてm熊のぬいぐるみとそれに付随する家族とのなにかしらを完全に捨てきれなかったから自分が徐々に歪んでいってしまうしかなくて、そういうときにものを言うのって
「なんとなく人外の力ですべてを救ってくれそうな神」の存在が一番テキメンに効くのだけど、イモータン・ジョーは自身がその位置だと思っていたしディメンタスくんはおそらくあそこに至るまでの過程でおそらく神を否定しているので全然ダメです、あ〜あ、というのは人間性最悪独裁やらせらた一番ダメなタイプの人間俺から申し上げておきます。
たぶんそういう宗教の世界観も容赦のない環境変化で「神なんかいねえよ!!!!!」みたいになっていって崩壊したんだろうなというのは容易に想像つくんだけど、ウォーボーイズくんがなまじっかみんな信仰を得ているのでやりようはあったんじゃないかな。最悪だな本当に。
今作を踏まえて前作のニュークスくんを見ると「本当に人の心を取り戻したのおめでとう」になりました。ニュークスくんはヴァルハラにはいけないけど(そんなもんないので)、もし死後の裁きとかいうものがあるのだとしたらほんのちょっとだけ良い方に行くと思うよ。
なんというか全編を通して制作側にその意図があったかはわからないけれど、生まれの次に大事なのは育ち、まるでなにもわからない赤子の状態からなにを吹き込まれて育ったか、なにを見て育ったか、善性が先にあってそこからのちずっとずっと悪逆非道を見てきた場合にどうなるのか、人間は他人から施されたものしか他者へ施すことができないという単純な話をやっていたし、怒りや憎しみという感情を保持していくのは本当に大変だけれど怒りの感情は快感と近いところにある仕組みをしているから人間の寿命が半分になりフュリオサだってもしかしたら前作のもうちょっと後で死ぬのかもしれない、それどころか日々の生活の中ですぐ隣に死がある状態で、生きる理由として選ぶにはあまりにも大変だけれど一度定めてしまえばあまりにも力強い動力源となりうるんだよな。それこそ作中で崇められているV8エンジンのように。フュリオサはそれを原動力として、しかして進むべきと決めた道がきちんと与えられた、そして急に奪われることで無理やり与えられたものごとを総合して反面教師とするだけの素質があったからこそ、ジョーの額に己の額を合わせたのだ。戦友の、絆……!!!!ってめちゃくちゃブチ上がってた。
のでディメンタスくんの最後は本当にそれなんですか!?あとそこから収穫された作物、できれば収穫までの過程を一切知らないまま人生を終えた方がよい分類になるのであの果物食べたのかな………あのひとたち……ってちょっと個人的に心配になりました。たぶんフュリオサは語らないと思うのだけど。
途中で急にディスカバリーチャンネルとかで見たことある巨大制作物過程早送りシーンが出てきたのちょっと笑っちゃったな。あそこだけプロジェクトX的なドキュメンタリーの空気があった。
出てくるメカの全部が「そうはならんやろ」を「なるんだよ」で薙ぎ倒していく造形していて本当に𝑯𝑨𝑷𝑷𝑰𝑵𝑬𝑺𝑺...でした。俺はあの映画にありとあらゆるメカの造形のとんでもなさと盛大な爆発を求めているので。全体的に前作同様、ストーリーは一本道で単純で明確で言葉だけが少なくてだからこそ人間性の多大な欠如を物語っていて、暴力と悪意は溢れていて、誰も彼もみんな奪えるとみたら全力でそうしにいくような果ての果ての果てに緑の地はもうなくて、でも確かにずっとあの世界でも大事なものを失わずにいた人間たちがごく少数はいたからフュリオサは砂漠をまっすぐ突っ切って、まっすぐ帰ってきたんだな。
それで言ったら生体メカニックさんもマジで生命についてなんの倫理も持ってなくて本当に「メカニック」(技術者であるということ)で最悪の最悪でしたね。味方であれば一見生命を優先しはするから(メカニックだからね、材料は丁寧に扱うだろうね、有益な可能性があるうちは)判断を一瞬迷うんだけど言動は完全にイモータン・ジョー側のそれだからね。つまりイモータン・ジョーは人を見る目がある。本当に最悪である。
途中、ディメンタスくんがガスタウンで煙を上げて囮とし、砦へ向かうときの行軍で道になにか撒いていたのを「……?油…か……?水分か?」ってなったんですけど「砂埃を上げないためだ」と気づくと同時に「陸上自衛隊総合火力演習の前段と後段のあいだに施設科の散水車がやるやつじゃん!!!」と気づいて脳内がめちゃくちゃ気持ち良くなったので細かすぎて誰にも共感されないポイントが最高でした。
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