No.107, No.106, No.105, No.104, No.103[5件]
コーヒーのこと
コーヒー飲んだときに書くやつ。01

2025年10月に帰省した際、実家で使われていない電動コーヒーミルとドリッパーをゲットしたため、その勢いでペーパーフィルターと手始めに無印良品のダークテイストコーヒー豆を入手して、コーヒーが日常に突然舞い降りてきた。
カフェインをとるとてきめんに眠れなくなるため、睡眠を優先して朝の1杯だけと決めているところに毎日鎮座する貴重なカフェイン摂取タイミングについて気が向いたときになにか書いていこう、という試みです。

まず入門編として無印良品のダークテイストコーヒー。
ダークテイスト、と言われているだけあってかなり苦味が強い。昔どこかの旅館に家族旅行で行ったときにウェルカムドリンク的に出されて飲んでみたけど苦すぎて「エッッ」てなったときの味に似ている気がする。あのときはまだ子供だったから味覚がいまと違う可能性は大いにあります。

上記を飲み切ってから、次に比較用として同じく無印良品のミディアムテイスト。
ダークよりはかなり軽くて、粉を細かく挽くと最後の方に落とす分からは苦味というか嫌な部分の苦味が出ているような気がする。ネタバレなんですがカルディで豆を買うときに挽き方を指定できるんですが、ペーパーフィルター用は中細挽きがおすすめらしくて、あまり細かく挽きすぎると苦味とかが出るんですって。その通りじゃん。
どうしても印象で苦味強いのがいい!目が覚める!苦味で殴ってほしい!という欲求(偏見)があるんですが、ミディアムテイストは「コーヒーのおいしさの部分」がより前面に出ている気がした。好みの分野だこれは。

続いてカルディでイタリアンローストを豆で入手。
カルディは買うときに挽いてもらうこともできる、という情報だけあって豆のまま買えるのか!?と危惧していましたがちゃんと「豆で」って言ったら豆のまま買えました。当たり前なのかもしれない。全然知らないジャンルのこと、常に手探りです。
味は苦味が強くてガツンと来るタイプなので、朝に飲むと「重たい」と思う日が体調によっては来るだろうな、という印象。なんと大晦日から上咽頭を爆裂に腫らしており、痛いのなんの、鼻は通っているはずだが普段の味覚となにか違ってもおかしくないので、これは明日以降に症状が落ち着いたらまたゆっくり考えようのターンです。200gからしか買えないので20日は持つ計算なので。

Wavebox 経由でおすすめを訊いたりしたので、できる範囲で楽しんでいきたいな〜という新年の抱負みたいなものでした。
#コーヒーのこと
映画感想:ジャンプスケアのバン!!音よりもサンドバッグに叩き込まれる打撃音の方が僅差で重くデカい映画「悪魔祓い株式会社」でいろんなものを祓おう。
観たのは2025/12/31です。以下、すべてがネタバレ。#映画感想

そんじょそこらの木造建築の柱よりマブリーの体幹の方が強い。それはこの世の摂理。だいたいあの家、丸ごと呪われてるというか悪魔召喚儀式のための建造物じゃねえか!!!!という話でした。全然違います。
正直ホラー映画は全部苦手範囲なので、過去に大丈夫だった「NOPE」や「罪人たち」がややホラー映画ではないことがお判りいただけるかと思いますが、今回はちゃんとしっかりホラー映画だったのでちゃんとしっかり怖くて泣きました。俺はホラー映画が全部苦手範囲。

こう、まったく文化基盤から違う国のホラーはこざっぱりというか乾燥しているというか、とにかく湿度を感じないんですが(『NOPE』とかそう。あれは土地柄もありますが……砂漠だったし。ホラー映画じゃないとか言っておいてこいつ)、韓国って地理的にめちゃくちゃ隣で、下手したら北海道から沖縄行くより東京から韓国行く方が近いまである距離なので、めちゃくちゃ湿度があるんですね。話に。怖がらせかたに。普通に怖くて泣きました。俺はなんでホラー映画を………自発的に観て……マブリーがいるから大丈夫だろと思ったらちゃんと怖いところは怖かった。それはそう。これはホラー映画。

悪魔とかエクソシズムそのものはキリスト教の概念なので、ちゃんと舞台はキリスト教系病院、というんだろうか、とにかく主体がキリスト教を主体としたでっか病院なの、舞台として最高だし話の通りが一番良くて大前提として大成功な舞台でしたね。「ヴァチカンのエクソシスト」でも言われていましたけど、悪魔憑き的な行動の大半は人間の脳みそが起こしているもので、ごくわずかの”本物”が紛れている……という世界観の説明にこれ以上ないほど最適な設定。
ミステリ小説積極的嗜み勢なので、最初はあの神父さんが黒幕か!?まで思っていたんですけど全然そんなことなかったし、それはそれとして全然瞬きしないシーンがあったので「やっぱりこの人も結局はそっち側なのでは?」と疑いが全然晴れない。真面目なシーンなので瞬きしないんだとしてもあの長さずっと目を開けていられるの一種の才能ですよ。俳優さんの才能、ここで使われるんだ……と思ってちょっとウケました。

全体的に王道ホラー映画なんですけど、ちょいちょい挟まるギャグと小ネタはなんなんだろう。俺があまり韓国映画を観ないので文化全体にそういう文脈というかお約束があるのか、それともあの映画単体で行われていることなのかが全然判りませんが、ずっと怖いばっかりだと腹筋が八つに割れて局地的ムキムキの人間ができあがるので文字通りの息抜きとして楽しめました。ンフフ。マブリーにドアの破壊を願われていることがわかっているでしょ、あの自動ドアのくだりは。

姉妹二人で住むにしてはやたらでっかい家とかおもしろすぎましたね。ホームセキュリティにせよそんな数の監視カメラつける必要がある家に、二人?!ってなりました。妹さんがダンスを仕事にしようとしていることがわかるのも説明セリフとかないまま示されてとてもよかった。いやそれにしても家が広すぎる。
途中で壁の中から悪魔崇拝側の人間がぞろぞろ出てきたところで声出して笑うかと思った。そんなことがあるかい。ありました。どうして。まだ本邸から離れたところの倉庫の床下に隠し階段があってその先で悪魔召喚の儀式が!のほうがまともで納得しやすいってなんだよ。なんでだよ。あと最後がなぜかアメコミ調アニメーションになったのも謎。そこは、やってくれよ、実写で!!

iMac27インチが自宅で使っている(今まさにこの文章を書いている)のと同じだったので嬉しくなりつつ「二度とPhotoboothが起動できないことするんじゃないよ!!!!」って泣きそうでした。なんであれiMacのインカメラ機能が起動している……?ホームセキュリティ(監視カメラ)の仕組みとしてそこも起動しないといけないという仕組み……?普通にネットワークのハブとしてのiMacだったらそこまで必要なくない?ってずっと思っていました。
なぜなら俺は「悪魔祓い株式会社」がやった「監視カメラにこういうのが映ったり起こったりしたら嫌だから絶対に自分では使わない」、という決まりを設けているからです。俺が起こったらやだな〜って思ってたこと全部やるじゃん!!!やめて!!!!怖いから!!!!!!(ホラー映画です)

ホラー映画としてかなり真正面から王道のことをやっているんだけど、シャロンやバウ(主人公です。マブリーがやっています)自身が悪魔の力を借りて悪魔を祓っている、という構図が説明なくスッと出されるの本当にいいな……邦画が苦手(特に原作が漫画や小説の実写化)な理由の一つに「全部セリフでいうじゃん」があるので、ちゃんと映画(映像)で説明できるところをあえて説明せずに読み取らせる手法がかなり好きでした。まあ怖いんですけど……。

思ったよりマブリーの拳が唸らなくてちょっと期待しすぎた感はあったんですが、これは俺がジャンル:ジェイソン・ステイサムを期待していたからです。予告で「ワーキングマン」もかかったので余計に……俺のせい。
でも普通に曲がり角からマブリーがのっしのっし歩いてきたら俺は裸足で逃げ出すのでマブリーも怖かったです。肉体が強い人間も、精神の、心の柔らかな隙間というのはあるよね……ある限り、つけこまれるよね………という悪魔側の醜悪さを引き立てる塩梅もとてもよかったです。でも俺は一生涯にわたって防犯上の理由があってもカメラと人感センサーはつけません。怖いから。畳む
映画感想:創作が人間の救いであること、祈りであることを再確認する映画「落下の王国」を観よう。
あの世界に必要なのはオリロー(避難器具)です。すべてがネタバレ。#映画感想

前々から映画をよく観る人たちをフォローしている映画情報用アカウントで名前だけはよく見ていたものの、なにやらいろんな事情があるらしくて再上映がされず……で有名だった印象がある「落下の王国」。
この映画を観て自分が創作でやりたかったことを満足させられてしまい(※)、筆を置いたひとの話まで流れてくるもんだから一次創作もやる身としては少しばかり緊張しながら観たものの、結論から言えば創作に対してのアプローチが異なるので擦過傷で済みました。でもあれが致命傷になるひとがいるのもわかる。それだけなにか強いエネルギーを秘めている映画であった。
(※真偽は別として本当にそのひとがいたとするなら、あくまで映画を観に行っただけであって自分の創作したかったものを他人の作品で満足させようとしたわけではないと思うのでこの表現をしています)

俺たちは大人だからロイになにがあったのかをあの少ない情報からでもうっすらとわかってしまって、それがスタントを生業に選んだ人間に対してどのような意味を持つか、重みを持った事実であるか、というのもうっすらと想像がついてしまうし、俺たちも子供だったからアレクサンドリアが空想で時間を潰すこととその必要性がわかるし、アルファベットが読めなくて数字だと思ってしまって勝手に錠剤を捨てることもわかるし、だからこそアレクサンドリアにそれをやらせたロイに対してはしっかり怒らなければいけないし、あの時代にそうすることが難しかったのもわかる。先人の命と血で病院の安全はできているから。

ロイが物語の最後にあらゆる仲間たちをばんばん殺して行ったの、本当に自殺願望が強いことの現れすぎて「おまえ、おまえちいちゃい子に、なに聞かせて、やめい!!!!!」ってビンタしてたくらいなんですけど、ロイに届くのはアレクサンドリアのまっすぐな「立って」なんだよな………どうも上記の映画情報アカウントのタイムラインを見るにインド神話の下敷きがあるそうなんですけど全然わからないため、アセクシュアル・アロマンティック人間個体としては最後の最後で安易に愛だの恋だのを取らず千切って捨てたのめちゃくちゃ良かったです。
愛ってもっといろんな形があって、それはその当人間だけのものだから、子供が無邪気に憧れるような異性愛模範だけじゃないんだよな。それをあの時代の作品でやってくれてありがとう、の気持ち。アレクサンドリアのふん、ってするのかわいかったですね。やたらキッスをさせたがっていたりして、年相応(そうか?)のおしゃまなおませさんって感じで大変良かった。

子供に語り聞かせる物語がベースだから、容易に現実側と物語側を行き来する構造がメタ視点大好き人間には受け入れやすく、またここら辺の要素でめちゃくちゃ人を選ぶだろうな、と思いもするので安易に他人に勧められない映画トップに急に躍り出てきてしまい困惑しています。急な景気のいい爆発とか大好きなんですけどね………。

オウディアス総督の手下たちが出てくるとき、犬はいないのに犬(や狼に近い獣)の吠える声がするの本当に嫌すぎて「人間の悪意を人間でないものでえがくのがうますぎるだろ」って声に出るかと思いました。あと被っている兜に変に声が反射している、のではない範囲で子供の甲高い声みたいな声がするのも「人間の悪意をえがくのがうますぎるだろ」になりました。

人間が世界に絶望しているとき、そこから一旦希望の方向に顔だけでも向けさせるために必要なのって人間でないものの場合と、人間である必要があるパターンがあると思っているんですけど、今回は人間である必要があったパターンで、それって本来はカウンセラーとかそういう専門職なり専門知識がある人間があたる仕事なんだけどあの時代を考えるともう全然それは望めなくて、アレクサンドリアはまだギリギリ5歳だから今後の忘却に賭けて子供に対してやるにはキツすぎるカウンセリングが大回転して一旦ハッピーエンドに落ち着いた、って感じの話でわりかしギリギリとしていました、胃が。やらすな………ッッッt……こどもに………そんなこと……………ッッッッ!!!!
あと侵入を想定していないのは当たり前すぎるんだけど処置室にあんな外から中見える窓、いります!?死やんけ!!!!!!!そこにあるの!!!!になり………怖いよね……夜の病院ね……………になりました。俺は別に夜の病院を知らないんですけど、こわいものとしてなぜか意識に刷り込まれているので………怖いよね………抱きしめてやりたい………聞いてるかロイ。お前だぞそれをやらんとならんの。おい。きいてるか。寝るな。寝てる場合じゃないぞ。Not time to sleepだぞ。聞いてるか。起きろ。
アレクサンドリアが本当に気まま〜に人の話聞かないあの年頃の子供全開なのめちゃくちゃ良かったから、ところどころに挟まる曇らせに「やめてください……」って本気のダメージを受けていたな………。

タイトル回収なのか、だいたいの人間が落ちて死ぬのなんなんですか?になったのはちょっとおもしろかったです。オタクはタイトル要素を作品内で回収されるのが好き(主語でか)あと愛の象徴だった弾丸を受け止めたロケットすら放り投げられて高いところから落ちていくのも好き。あれはあそこが真髄だと思っています。あんなちっぽけなものに愛だのなんだのとまるで命を賭けてもいいもののように言っていたのだ俺たちは。それとの決別。美しかったな。

アレクサンドリアが頭打って処置室にいるところにやってきたロイがめちゃくちゃしっかりした酒瓶からストレートでウイスキー(たぶん。色的に)煽ってたの馬鹿な大人すぎて「持ち込ませるなそんなもん!!!!」って思ったしちょっと笑っちゃった。しっかり酒飲んでんなあ、この大人………!!!!!!!
全体的に本当にすごく良かったし、評価が高くて根強いファンがいるのも納得だけど病院内の重大インシデントで気が散りすぎる映画、「落下の王国」。おすすめです。畳む
つらつら
映画感想:「罪人たち」を観ていろんなことを考えるんだぞ。俺との約束だ。
ホラー映画だけど面白そうだったので観に行ったら案の定、大面白(おおおもしろ)だったので以下、すべてがネタバレの感想。#映画感想

冒頭から他作品の話をして申し訳ないのですが、俺が以前ホラー映画の皮を被ったわくわく大乱闘怪獣映画「NOPE」を大絶賛していたのを覚えておいででしょうか。「NOPE」はわくわく大乱闘怪獣映画ではない、というツッコミも一旦同時に傍に置いておいてください。
信頼している映画人で作り上げたTLでちらほら好評なのを見てはいたのですが、いかんせんこの俺はあらゆる労働と同じくらいにホラーが嫌いです。苦手だし、嫌い。やだ。こわい。普通に嫌。衛生観が一生相入れない。怖いとかの前に汚いやろそれは。みたいになっちゃう。グロとゴアとの区別をつけんかい。痛いのは嫌なのは当たり前やろ生き物なんだから。みたいになっちゃう。とにかく苦手です。

なので「罪人たち」も面白そうだけど……ホラー映画…いやでも………と悩んでいたところに、「NOPE」と似たような種類の映画であるという情報が舞い込んできて、ならいけるか……!?と腹を括った次第でした。血の出方はどっちもどっちです。俺はホラー映画を血がいっぱい出るもんだと思っている?たぶんそう。苦手ゆえにあまり触れてこなかったので理解の浅さは許してください。

公式のアカウントだったかなにかで怪異が吸血鬼である、というのは事前情報で知っていたのですがいかんせん中盤結構まで吸血鬼要素が一個もなくて「おや……??」になっていたのですが、途中から急に出てくる。本当に急に吸血鬼が出てきて「お、おや……??」になり、最終的に大乱闘わくわく吸血鬼全部焼き映画になったので「おぉ………」って言ってました。大乱闘わくわく吸血鬼全部焼き映画ではないです。

アパルトヘイトが罷り通っている時代、綿農園で綿花を摘む指はすべて黒くて、虐げられていた時代。
わけもわからず連れてこられて、かろうじて生き延びた先祖たちが本当に拭けば飛ぶような細い炎を、しかして小さいながら確かな灯りをずっとずっと紡いできた黒人たちの中に根付いて息づく音楽というもの。
以前から「一番身近な音楽楽器は人間」(一人きりでも手を叩く、や、なにかを打ち付けるなどでリズムにはじまる最小単位の音楽を奏でられるため)と思い続けているんですが、連綿と続く音楽という中に込められたそのときそのときの背景を俺はまったく知らないにも程があるのだけれど、人間が会話をしてコミュニケーションを築く生き物である限りおそらく音、という手段についてはかなり万人にとって文字通り耳を傾けるきっかけになるわけで、そしてそれは苦しい状況にある中でのたしかな光であったわけで、そうでなければ現代に至るまで音楽の持つ力が続いているわけがないので。

苦しい状況にある人が、苦しいままでいろというのはまったく間違っているし、苦しい状況にある人がそれでも希望を失わないために行っているレクリエーション(ほとんど祈りの儀式だよそれは。そういう話もしていましたね)の場面だけを切り取って「彼ら彼女らは苦しんでいない」というのもまったく間違っていて、このあたりの構図は現代でもなんでも変わらないし、むしろSNSやショート動画などのインターフェイスや構造側が端的なもの、より端的なものを短絡的で瞬時の快感のために消費するスタイルになっているあたり、”いま”の俺たちの方がずっと毒されているので、改めて考えろよ、と言われているような気がしました。これは個人の感想なので「言われているような気がしました」で正しい。

そして「黒人が」音楽で食っていく、ということの、あの時代における残酷さ。
要するに「白人でも」「わかりやすい」「白人(おれ)たちを」「満足させる(気持ち良くしてくれる)」「音楽(何かしらのインターフェイスを持った消費しやすいなにか)」だから受け入れられたわけでしょ。文字通り「目をつぶっていても」心地よく、気持ちよく、不快にならず、演奏者のことやその音楽が生まれた背景に目を瞑っていても上っ面だけ享受して楽しんで咀嚼して吐き捨てるように消費できるものってことでしょ。
あるいは芸術方面のこと、というのは古来からインテリ層やインテリぶりたい層(けっして倫理観がしっかりしていたり、善人であったりするわけではない、ということが重要)に人気の、明確な一定の点数などがつけづらい個人の好みが大きくその評価に関わってくる分野のことだからそこそこ「大衆向け」を掴んでしまえばそれなりに需要と供給が成立する。
俺たちはずっと本当のところで「その個性(タレント)を、妨げるものか?肌の、色が?」を問い続けなければいけないし、なぜその肌の色が生来いなかったであろう大陸にいるのかを考え続けなければならないし、繰り返してはならない。ずっとその根本には抗っていかないといけないし、抗っていくには学ぶことをやめてはいけない。

そんで急なアイリッシュ音楽祭り、なに?!!?!! 吸血鬼になるとアイリッシュ音楽を習得できるんですか!?なに!?!なんで??!??!!!!!!めちゃくちゃいい声するやんけ、みんなから!!!!!!息ぴったりやんけ!!!!(これはカラクリがわかりますが)マジで生前かなり音痴だったりしてもああなれるんですか?!?!1なんで?!??!?!!!!
と思いつつ、アイリッシュ地方の移民たちのことは「片喰と黄金」で知っているので、彼ら彼女らもまたアメリカ大陸に移ってきてそこでなんやかやあったために、故郷のことを想う手段としての音楽を持ち合わせているのだな、とは思いました。なんか……なんか急にダンスしだすのちょっと面白かったですけど……………。

あと「吸血鬼は招かれていない家(場所)に入れない」と「にんにくや銀に弱い」をやるのに最後サミーのことをめちゃくちゃ水の中に追い詰めていて、最初あそこ川かと思っていたので「銀やら入れないやらはやるのに川は渡れるんかい!!!!!」(川だと思っていたので吸血鬼は入れないから実質勝利やんサミー!!!って思っていた)になったんですが、よく見たらとくに波が立っていたりはしなくて流れてないっぽいからあそこは湖とか溜池みたいな感じだったんですかね? もともと製造所だったようだし、水源地的な………?たぶんそう。吸血鬼⁠招かれていない場所にいけないネタをずっとやってるの律儀でちょっと面白かったし、わたしはああいう境界線を越えられるかどうかで人間かどうかを試される要素が大好きなのでニコ………ってしていました。最後のバーのシーンも本当に良かったですね。

最初、吸血鬼とかホラー要素とか全然ないから「???」になっていたのだけれど、あれは最後の最後ですべてを失うための丁寧な伏線で、それでも残ったものの輝きを小さいながら確実に光らせるための丁寧な描写だったんだな………土地を移るということの大変さを、たいていの人間がその生まれや今現在で知っているからこその、それらが失われるることと、回想するたびに強くなっていくそのときどきの情景が美しかったことなどがまざまざと伝わってくる。

無知なころは差別……よくわからん……になっていたのだけれど、最近(一応年月で言えば数年以上経ってるけど、あまりにそうでなかった頃が長いので最近と短めに言っています)ようやくいろいろなことを見聞きしてそこから学ぶ、ということが曲がりなりにも形になってきつつあるのであの映画の時代背景を考えるとすべてがクソなのですが、「そうしなければならなかった」のか?本当に?という問いと、それはそれとして差別は全部クソ、という確信は両立するので、ずっとそうやってこれからも考えることをやめたくないな、と思う映画でした。

奪われたものを取り戻すとかではない、でも地に足ついていま持ってるものを「これ以上」奪わせないっていう、「これ以上」なんだよ……そこにしがみつく人間の……人間の……でっけぇ愛……俺はなんでもでっけぇ愛って言いがちですけど……魂のはなし…………。そしてサミーのように「そうせざるを得ない」ほどの魂と密接に関わるなにかを持って産まれる人間は確かにいて、その人間に対してそれを手放せというのはお前の魂を自らで殺せと言っているのと同義で、選ぶことには困難が伴い、時にはまったく別の離別を必要とするが、それでも選んだものを、ずっと手放してはいけない。そういう話だった。 いえ、あの、時代背景を加味したいろいろと言いたいことはめちゃくちゃあるのですが(先日「アファーマティブ・アクション 平等への切り札か、逆差別か」(南川文里 著)を読み終えたところだったのでその辺もスッと入ってきやすく、キツです………にはなっていたのですが………。

サミーが最後、ギターを手放すかどうかのところで「やめろ〜〜!!!!!!そのままいけ〜〜〜ッッッッおまえのオールを他人に任せるな!!!!!!!!!(中島みゆきが好きです)サミーーーーーーッッッッッ!!!!いけ〜〜〜ッッ差せ〜〜〜〜!!!!!!」って競馬でも見てるんですか?みたいな応援しちゃったもんな。そのあとサミーがギターのヘッドだけ持って車運転してて泣いちゃった。それでいいんだ……と俺は安易に言えないけど………!!!!! そして最後の最後にさあ!!!!!あのとき殺しきれなかった吸血鬼になった二人がさあ!!!!サミーのことをさ……でもちゃんと約束守るんだよな………時代に適応して生きているし、多分その辺の人間のことは趣味で殺したり仲間にしたりしてるんだろうけど………。

あの吸血鬼たちは感覚や記憶を共有しているってことは、たぶんあの最初のアイルランド吸血鬼たちに噛まれて吸血鬼になったときに彼ら彼女らの記憶や感覚も共有していて、おそらく移民というところで(自発的な移民か奴隷として連れてこられたかの違いはあれど)共感(共鳴?共振?)はあったのかな、故郷を想う気持ちの部分はどこからどこへ移動したって続くものな、ある程度は、という気がしている。
彼ら彼女らの魂はあそこで燃えてそれで終わりなのだろうか。もう消えてしまったんだろうか。白人を容赦なく殺し、同胞だって容赦なく殺したスモークが最後に見たあの景色は天国だったんですか?あるいは取り戻したと思ったアニーと自らの子を再度失って地獄に行くのだろうか。それがスモークの罪なんだろうか。

タイトルもキャラビジュアルも「WE ARE ALL SINNERS」で、そう、彼ら彼女らはみんな罪人なのだ。

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つらつら
映画感想:引退後にぴったりな本当に急に一瞬だけ治安が最悪になるほのぼの北アイルランド田舎暮らし映画「プロフェッショナル」を観よう!
作中で死ぬ動物が人間だけという時点で95点くらいつけてしまう人間がなんか言っています、すべてがネタバレ。#映画感想

好きになったキャラ、死んだが?!?!!!
びっくりした、本当にびっくりしました、いままで好きになるような素振りもなかった方向性のキャラクタを好きになったな珍しく、と思っていたら途中の全然なんでもないシーンで「あっこいつ死ぬな……」と謎の確信があり、本当に死にました。
そのシーンもカルフォルニアに行きたい、という夢を語っているときでもなければ主人公から今まで貯めてきたお金を託されて「殺しなんかやめて夢を追え」って言われてるシーンでもなく、どこだっけ、猫を膝の上に乗せて寝こけてるシーンだっけ?なんか本当にその辺りの本当に普通のシーンで何故か確信を得たので俺は多分人間から漂ってくる死の気配にあまりにも敏感だし、なぜかその危うさに惹かれる感性を持っているのだと思います。本当に最悪である、己が。

今回も特に前情報なしで観にいったので時代設定が1979年なんだ!?になり、やたらとアナログなデザインのタイマーが可愛いすぎてにこやかになり、その用途が最悪すぎて「最悪……」って言ってたりしました。物心つく前の、しかも海外が舞台の場合は時代考証が正しいのかどうかすらもまったくわからなくて新鮮に受け止められるので好きです。
だもんでケビン(上記の死ぬキャラです)が一瞬映るシーンで「治安が最悪のビートルズみたいな人いた…………」って思ったそれがまああんなに良いキャラだと思わなくてあれよあれよと「こいつ……好きだな……」になったら死にました。なんで?????????本当になんで???????

物語の範囲としてはものすごく狭い範囲の、ものすごく小規模なものなのだろうけれど、人間は善悪どちらか一辺倒をやるには基本的に弱すぎるし、悪の方を選んだ場合に大義や、家族であるとか、ここに放り込まれたからという開き直りや、そういう自分の手には余りあるごくごく大きいものに責任を転嫁して自分自身すらだまくらかして生きていかないといけないんだな、というのを丁寧にやっている物語でしたね。好きです。

それと同時に穿とうと思えば世の中が戦争に傾いている昨今、この善悪の線引きが極薄くて曖昧になっている時勢に、なにを大切にしてなにをないがしろにしてなにを手放して傷つけていくかの責任は、たとえその理由を個人個人が個人個人によらないものへ負わせていたって選択の責任は個人が取るのだ、という本当に大切なことをやっているな、と思いました。
死ぬ前に善いことをひとつかふたつやったところでいままでの罪は帳消しにならないし、だからといってやらなかった善いことはこの世にまったくないことは明確なのでなにか、なにか、なにかを、と自分の中で見失って擦り切れてしまった希望に対しての道を探すように縋り付く人間がいてもまったく変なことではないし、人間はその信ずるものによらず救われたいのかもしれない。
そうしてああいった海が近く、寒くて、雲が速く走る土地ではより人間の温かみを持ち寄って寄り添う必要が生活上にあって、そのあたたかみのことを愛と言うんですけれども、過去に与えられなかった愛に飢えているこの物語の登場人物たちはどこまでいってもよそ者だったのだな、と思います。まだロバートに拾われて役目を与えられていた(そしてこれもまた自分の責任を追えない理由の一つになりうる)フィンバーやケビンの方が愛ではないにせよ他人から必要とされる場面を持っていただけマシな気がしてくる。どこへいっても地獄ですけれども。

観終わったあとにすでに複数回言ったんですけど、フィンバーはあのあとあの車のままカルフォルニアにいってなんやかんやありながら地元じゃ負け知らずのクセ強アイリッシュじじいとして中古レコード店名物店主になって天寿をまっとうしてください。猫を飼い、家庭菜園をカルフォルニアでやれ。

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