No.81, No.80, No.79, No.78, No.77, No.76, No.75[7件]
つらつら
映画感想:「ゴジラ-1.0」の端数の部分。
※観たのは2023/11/9です。
事前情報は劇場でかかる予告映像くらいで、特にゴジラシリーズ全般もあんまり知らず(なんなら怪獣映画は「モスラ」シリーズくらいしか知らん。あとガメラ)、「シン・ゴジラ」とモンスターバースの「ゴジラ」シリーズを履修している程度の人間の感想。#映画感想

今回のゴジラの造形、背鰭がウニみたいにとげとげしてて全体がむきむきむっちりで可愛かったですね。俺はすいませんがだいたいの特徴を総合して「かわいい」に収めがちなのでその辺が合わない人はこの辺でこの文章を閉じていいです。

エンドクレジットに推し官公庁たる海上保安庁の名前をありがとう!!!!!!!!!!!!!!ってエンドクレジットで一番良い笑顔出しました。いえあの、予告の時点でも海図だなこれ……みたいな投影がちらとあったので、欲を言えばその辺でちょろっと気配でも出てくれないかな〜、まあ戦後すぐくらいの話らしいので1948年(昭和23年)発足の海上保安庁はまあ出なくてもまあ………みたいな未練ですらない淡い気持ちでおりました。ら!!!!!!!!!!!ちょっと!!!!!!!!!!!!!!名前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
本当にありがとうございました………途中、ゴジラに向かう最後の作戦会議で机の上に広げられた海図の左下端っこの方にめちゃくちゃ印鑑いっぱい押してあったのふふ……になりました。あれ、海洋情報部の展示で見たことあるなあ………、記憶が捏造されているのかもしれないけど、機密の度合いとかも基本は判子で示されるのでね……ふふ……………ともあれ、クレジットに名前ちゃんとありがとうございました。

あの世界、海上保安庁発足するのかな。もうなんていうか官公庁がそこそこあった一帯がだいたい壊滅しているんですけど大丈夫なのかな。そもそも海上保安庁の発足も北九州あたりでの密航や密輸入が度を越してきて(海軍解体により海上警察機構が公的には滅んだため)やばいね、ってなってGHQが「なんとかしんしゃい」て言ってきたところから始まるんですけど………。
あと海保のオタクを浅瀬でちゃぷちゃぷながらやっている身としては海保発足後も海軍出身者と海運(民間)出身者でソリが合わなくて大変だったみたいな話をよく聞くので、あの人たち全員海軍出身者だしそれが「民間」って言い張ってるのをなんともいえない顔で見ていた自覚はあります。あの…………あなた方を民間と言ってしまうと最後の方で来てくだすった曳船のみなさんの…立つ瀬が…………………でも水島くん以外、特に曳船隊の人たちがゴジラに敬礼してなかったのはよかったですね。

というかあの敬礼も全然意味がわからなくて「????????」だったんですが、あれは海軍のことを知ってたりするとなんかわかったりするんですか?最初から最後まで理不尽に踏みにじられた敵側だったじゃん……?それとも米軍の艦艇も沈めてくれたから?それなら人間最悪性がすぎるし政府に人のこと言えんが……それとも初代からシリーズを踏襲していたらわかるものなんですか?全然わからん……ゴジラ自体もビキニ環礁での実験で巨大化した?のか?という推測はできるけどそれより前に存在して元気にやっていたし、小笠原諸島とビキニ環礁だいぶ遠いですが……みたいなこう……たぶんこの辺は初代シリーズからの履修が必要な気配を感じています。なんというかこのあたりは俺があの作品におけるゴジラの意味合いと立ち位置を全然把握できていないからな気がする。
基本的にすべての怪獣事象は自然現象と同じだと思っていて、人間のことわりではまったく関係ないところから急に出てきて通過していく、その通過に人間が巻き込まれているだけという前提でいるのでこう…人間とゴジラ……みたいなところを把握するのにあまり良い視点じゃない自覚はあります。

これは某所でも言ったんですが、生き残ること・生き延びること・誰も死なないことをテーマの中心に据えているのは良いのですが、だからといってじゃああれだけ壊滅的な被害を受けたそこに巻き込まれたヒロインが生き残っていて、それ以外の無名のひとたちが生き残っているかどうかを完全に不明にする意味ってなに……?になりました。全然わからん、俺はゴジラのこともこの作品のことも全然わからん。
常々、人の生き死にの軽率さはフィクションでしか許されないから……!って大喜びで手を叩いてますけどあれは生命が軽んじられるのを楽しむことで「現実ではこんなこと一個もやっちゃなんねぇ……」って強く決意を新たにする運動みたいなところがあるので、あの最後の首筋のアザ?みたいなのの意味とか意味深な続編にいけそうな余白とか、全然こう………ときめかない………ときめくに足る要素が全然なくて……もうちょっと考察の余地の断片をくれ……情報をくれ………………。
本編の考察を深める余白がある作品も多々ある中で、今回の場合はその余白がいわゆる工業製品における無駄なバリみたいな意味での引っ掛かりしかなくて「ヒロイン生きてるならなんかもっと生き残ってもよかったろ市井の人たちがよお!!!!!」ってなりました。でもあんなミッション・インポッシブルみたいなことさせられてたヒロインすごいね。頑張ったよ、あれできるのトム・クルーズくらいだと思ってた。そんなことはなかった。話がそれました。

ヒロインと主人公が軽率に恋愛でくっつかなかったの、恋愛感情じゃない人間同士の生き残りあいだ〜って嬉しくなってたんですけど、中盤で結婚の話が出てきてて「うへ……」になりました。あの、異性との結婚が人生のゴールの一通過点になってる世界観はわかるんですけど、別にそうしなくても今まで生きてこられたのをいまさら……?みたいな、これはおそらくを通り越してほぼ確信的に俺が世間一般で言う(異性)結婚によるあらゆる法的な何かの庇護下に入らない立場だからですけど、なんかこう……うん、まあこれは俺の話なので良いです。別にあの昭和の世界でそれをやれって言うわけじゃないしね。あのときは、そして今に続くまでずっと、近しい感情のある男女は結婚を視野にいれるもんだんだよな……うん。怪獣映画を観にきて人間がごちゃごちゃやってると「はよゴジラ出てきてくれ」になってしまうのは悪癖です。よくないです。はい。あとそれで言ったら敷島の家の表札が「敷島」だけで、お隣さんの太田さんちが「太田澄子」ってフルネーム表札なのも「おわあ」になりました。敷島の家は敷島とそれ以外(でも「敷島さんのところ」に内包され、無視される「大石」典子)で、太田さんちは太田さんしかいないのだ…………太田さんも最後の良心を見失ってなくてよかったね…表に出す感情のバランスがすごくよかった。

終盤で急に水島くんがハシゴ外されて「俺も乗せてください!!!!!」って叫ぶシーン、大変よかったですね。あのときまで水島くん自身は「戦争帰り」という共通言語を持った人たちに「いさせてもらっていた」ことを急に突きつけられるのでその傷つき、よかったです。
あと敷島が「俺の戦争はまだ終わっていない」って言うの、「ゴールデンカムイ」で見たやつだ……になります。結局、あの人たちは戦争に行って帰ってきたと言ういくつかの境界線を跨いでいるけど、残ってた(残らざるを得なかった)ヒロインや太田さんはずっと日常の延長に戦争があって空襲があって……をやってきていて、たしかに「あの日」「あの夜」などの区切りはあるのだろうけどここからここまで、という境界線を明確にするのは難しくて、その辺の齟齬……齟齬だ…………になりました。ここでいう境界線というのは例えば「引き揚げ船に乗った」とか「日本についた」とか「飛行機が離陸した」とかそういう明確な自分ごとの事象(自発的な行動)によって起こったものを言います。「戦争帰り」という共通言語、めちゃくちゃ概念としてはいいな、と思うんですけど自分では真正面から取り組もうとは思わないですね……。

そんで最後のさあ……曳船さんたちがいっぱいくるじゃん………あそこで全然大型の船がいないのよね……でっかい船、だいたい徴用されて沈んでるか引き揚げやってるからいないんだろうけど……その辺がぐっときてしまい、ぐっときて………そんで全員に明るい希死念慮があって、ぐぅ………となります。何かの大義名分のために死ぬことへの気持ちよさ、憧れって人間どうしても抱いてしまうし、それを強制させられてた人間たちの戦後なので、それはそうという感じで奥歯を噛み締めてしまうね。

ゴジラさんの背中が青く光って、熱線を出すときにぐっと押し込まれるギミック良かったです。もっといっぱい言いたいことあるんだけど、とにかく時系列と作中の時間帯がわからなくてせめて夜明けの話してるなら日の出のカット二秒でも入れてくれ……になりました。その辺の情景説明(言葉がいらない)がうまい映画を最近いっぱい観たから、観客としての勘が鈍っているのかも知れない。
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つらつら
映画感想:「ザ・クリエイター/創造者」に見る人間は愚か!滅ぼ!の欲求。
タイトルの通りです。全てがネタバレ。言いたいことがありすぎて何にもえいてない。#映画感想

本編に関して言いたいことがめ〜〜〜〜〜〜〜ちゃくちゃ膨大にあるんですけどそれよりなによりすべてを差し置いて一個だけ言わせてもらって良いですか?500ポイント太字のなんならイタリック体で書いてあると思ってください、ここから下。

一瞬で100万人も死ぬような最悪核兵器を、ニューヨークとかいう人口密集都市のど真ん中で開発すな!!!!!!!!!!!!!


すな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

フォントサイズの調節ここまでで大丈夫です。
いや〜〜〜本当まじであの、そう、冒頭からそのツッコミを誰もしてなくて、もしかしてそのときのニューヨークは人口過疎だったんですか?って思ったけど繰り返し繰り返しものごとの始まりとして膨大な人間の死者が……という情報をお出しされるので「そもそこの立地に決定した人間がバカだが?????????????????」しか出ず……なに………?止むに止まれぬ事情とかあったの?ニューヨークでしか産出されない希少な鉱石とか出たんですか?
途中でケンワタナベが「あれはAIのミスではなくコードミス、ヒューマンエラーだ」みたいなこと言ってましたけどそもそもそこで開発研究を進めようと決定した人間のエラーに決まってんだろうが………になっちゃった。たぶんそれを人間側もわかってるからAIのせいにして分断を煽りたいんだよね……いや知らないけど……もう冒頭からその調子で人間がすべて愚かですが立て続けにお出しされるので、常々日常生活内にうっすらとした希死念慮に近いけど何か違う「そろそろすっと消えて無くなってしまいたいな」の欲求がごりごりに刺激されてしまい、そういう欲求がある人は観るタイミングに気をつけないと安易に引っ張られます。俺がそうでした(昨日の気圧の余波で体調がよくなかった)はぁ……はぁ………人間が………愚か…………。

話の内容はありがちと言っていまえばそうなのかもしれないけれど、あれを「ありがち」に収めるにはあんまりにも人間愚かすぎて人間が次世代を残すのは自分たちの壊した生態系を可能な限り回復させて綺麗に後始末して片付けて一斉に滅びる準備をするため、みたいな執拗な人間の愚かさがあって、お、おわあ……おわあ…………ってずっと言ってました。
愛とか絆とかね、そう言う繰り返されて擦り切れたようなうすっぺらいものではなくてね、もっと人間の行動対行動による愚かさと愚かさのぶつかりあい、奪って奪われて自分自身から奪い続けて相手の肉体も魂も傷つけて記憶はちゃちな記憶媒体にコピーされて、最後に「死ぬ」ときも己の肉体から無理やり引き剥がされてボロボロの再生機みたいな中で死を自覚するんですよ。
人間にしかできない愚かさの極まる残酷な行為、誰も彼も自分勝手で他人のためにという過信を振りかざして子供をひとりぼっちにする、そういう、でも、それでも愛してるよっていう言葉を別れの言葉に選ぶときの本心は本当で真実でかけがえがなくて、天国で、会おうな………俺たちは……天国で…………………。

これは最悪IFのことなんですが、本編後、結局アルフィーは人間もAIも愚かで滅ぶべきという思想をうまく隠して人類が平等に全員せーので滅べるものをAIと人間で手を取り合って開発して(表向きは環境の保持や改善とか)自分の大切な人を奪った軍人たちや軍事企業関係者をうまい具合に合法的な被験体にして(違法でやると天国へ行けないから。被験体のひとたちは悪人なのでわたしたちの天国にはいないはずなので)いっさいがっさいのすべてを綺麗に片付けたあと、地獄でジョシュアと再開して隣にはマヤもいて三人で「天国にしては変だな」みたいなこと言いながら地獄ではっぴ〜〜〜〜にこやか生活して欲しいです。

俺たちは全員天国に行けない。
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映画感想:「イコライザー THE FINAL」に見る、マッコールさんと人間の善性。
ちゃんとしてそうなタイトルをつけましたが、本当に文章にまとまらないので箇条書きでお送りします。2作目の感想もまだ書き終わってないのに………一応前作観てますの意思表示。#映画感想

・よくないイタリア語の語彙が爆裂に増える。
・マッコールさん最後ちょっとリズム感がないのかわいい……
・俺は一般的な住居に存在しうる武器の中で火かき棒が一番好きと言うヘキの開示をせねばならんですね。
・マッコールさんに猶予なんか与えたらマッコールさん側から猶予を削りにくるに決まってんだろ。
・パスタ食ってる場合か。
・そこガラスなのぉ!?
・寝ている真上をベッドと同じ面積ガラスにするの、正気の沙汰ではない(悪人なので正気ではないんですが……)
・明日とかヌルいこと言ってっから明日の方から来ちゃうんじゃん。
・寝ない子だれだ(訳:永眠が来るぞ)
・坂道が多いから転んでも仕方ないね。いろんな転び方があるね。
・脚が長えひとは走るのも速いんですか?(憲兵さんめちゃくちゃ足速かった)
・魚屋さーーーーん!!!!!!!!!!!!!
・マッコールさんの生前葬やってんのかと思っちゃった。
・無理やり手動で開けた扉を本来の自動で開けていくマッコールさんはギャグなんですか?
・マッコールさんりんご代払った?
・車に撥ねられそうだなって思ったら車に撥ねられて笑っちゃった。
・本当に運転手の人が可哀想だな………保険が全額降りてほしい。
・ス゛ー゛ザ゛ン゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!
・なんて攻めにくく守りやすい地形なんだここ……盤石の地形をしている。
・マッコールさんが船に乗っていたので身構えましたがそれどころではなかったので事なきを得ました。
・マッコールさん…………
・マ゛ッ゛コ゛ー゛ル゛さ゛ん゛……!!!!!!!!!!!!
・でもその杖の担ぎ方は一般的な動作ではないことだけお伝えしておきます。
・パスタ食ってる場合か!!!!!!(反芻して出る二回目)
・マッコールさんが印刷所の人だったら動く締切なので俺たちは誰も同人誌を落とさずに済むのに
・サッカーで地域ぐるみではしゃぐのかわいいね
・バイクでノーヘルでその速度出して最終的に命が保障されるのトム・クルーズくらいだと思うんだが………(案の定死)
・人の手首を物理的に切断しているときに「し〜」じゃねえのよ
・地震が来ない地域の設計をしている建築だ………
・「イコライザー」はつまり階段の昇降は健康にいいということを伝えたい映画では?
・善性によって生じたマイナスにマイナス(マッコールさん)をぶつけてプラスにするみたいなことがずっと起こっている。
・マッコールさんに対しての締切日時設定は自分の生命に対する締切日時設定ってこと………
・マッコールさんくらいになると悪人の死に様を観察するのに物理的な椅子がなくても平気。
・マッコールさんによる銃床での床カツカツ急かし。
・夜道にマッコールさん(訳:必ず死ぬこと)
・だから子供のお迎えに関しては本人確認をしっかりせえとあれほど1!!!!!
・それみたことか!!!!!!!これ一作目も言ったな。
・こんなに感情移入できない葬式も初めてだな………
・街のひとたちーーーーーーーーー!!!!!!!!
・ジオのご家族、つまりけっきょくあの街から出る=マッコールさん(絶対の守護)がいないだから将来的にあの街で閉じて生きて行くしかないってことで許せねえな…………………………だからイコられたわけですけれども……………
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つらつら
映画感想:「イコライザー」から学ぶわくわく人間工作教室。
#映画感想
マッコールさんによる日常に潜む危険予知反面教師映画でしたね。そういうんじゃないんですけど、昨日観た「コカイン・ベア」とはまた違ったスナック感覚(しっとりクッキー系)で人が死ぬ映画でした。テンションが上がります、俺は人間性が最悪なので。

ところで俺は歳の差とか性別差とか全然属性が違うのに同じ真夜中のダイナーにいる、くらいの共通点からうっすらと継続していく関係性が好きなのでアリーナ…!!!ってもう親心を抱いていたのですが、マッコールさんがそれ以上の善性と人間の持てる暴力を武器に強火でことを成していったので、俺はただ悪人が死ぬのを「文房具って武器になるんだな(ジョン・ウィック進研ゼミ)」「ホームセンターは人間の倫理と理性で抑えられているだけの武器庫だからマッコールさんにたいへんお似合い」「警備員の人〜〜〜〜〜警備して〜〜〜〜〜〜(うちわ)」「船が爆発しましたが!??!!!!!!!!!!!(船が爆発します)」「港での大規模爆発火災はちょっとご遠慮いただいてもろて………(港での大規模爆発火災が起きます)」「ほれみたことか!!!!!!!!!!!!(ホームセンター内で人間の倫理と理性がなくなります)」「け、警備員の人1!!!!!!!!!!!!!!」など言っていることしかできませんでした。

職場の人間と関係が悪化しない適当な距離を保ち、夢がある人間を応援し、力を貸し、悪人に対してはまっすぐに自分の善性をぶつけていくマッコールさん……これは人気が出ますわ…………殺す時はしっかりさっくり殺すし、とどめの前に少し時間を作るのは殺す側への反省を促す時間を作っているのかなあ。そうだったら善性に基づいているだけの人間最悪行動コンプリートなので大喜びします。だれかの正義に対抗するのは別の誰かの別ベクトルの正義であるので、あの悪人たちは自分たちのことを正当性があると思っているし、マッコールさんも自らの正義でもってお互いをぶつけ合っているのでやっていることは特に合法ではないというのが絶妙な匙加減で良かったです。いやまあ……本人の保管している貴重品を本人に許諾を得た上で開けてるしまあ………許諾の取り方がたいへんに強引というだけで……そこに合法じゃなさが挟まるだけでまあ………手続き的には………表面上の手続きにおける合法性は遵守するんだから遵法精神どうなってんだろうな……めちゃくちゃ強いんだろうな……わかるよいやわからん。なんもわからん。

自分の負傷を煮詰めたはちみつで手当するところ、あんまりにもセンシティブで「ここがPG12ってこと?」という最大の胡乱が口から飛び出しました。ちがうよ、血がいっぱい出て危険予知行動が間に合わなくて(マッコールさんが仕事できすぎるから)ちょっと人がたくさん死ぬからだよ。よくないことオンパレード。明るくないシーンのすべてが反面教師。俺は映画「処刑人」のアイロンで傷口を焼くシーン(前後に各人の無理やり手当ライフハックが続く)でちょっとダメな方向に扉を開いた人間だぞ、そこにそれをお出しされたらダメな方向に扉がもうちょっと開くしかないんですよ。でもあの……傷口周りのはちみつは舐めない方がいいよマッコールさん………ぺろしないほうが…いいよ…………かわいいけど…………お茶目だけど…………。

序盤のシーンでホームセンターって全部加害可能な部品しか売ってないよな、という多大な偏見を垂れ流していたらラストシーンの最終決戦場がホームセンターで爆笑しました。本当に爆ぜるように笑ってしまった。ほれみろ!!!案の定だ!!!!!!!
ところでアメリカのホームセンターは有刺鉄線を売ってるんですね。いや日本でもそうか………ビバホームとかあるか……その辺の売り場に俺がいったことがないだけで………あまりにも物騒なマッコールさんと相性が良すぎるし、いずれくるであろうこういうときのためにホームセンターで働いていたら嫌だな……と思いました。どこまで計算なんですか?
とりあえず2作目を観て、最終作を劇場に観に行こうと思います。
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つらつら
映画感想:「コカイン・ベア」にみる、はるか懐かしの北の大地の情景。
2023/10/18に観ました。#映画感想

あまり真面目なホラーと真正面からのグロが得意ではないので、気にはなりつつも職場の先輩の一押しがなかったら観に行かなかったタイプの映画でした。それ以外の部分を啜りにいくつもりで手羽先の軟骨周りのコリコリした部分を咀嚼する姿勢です。
95分でサクッと観られるスナック感覚の、スナック感覚で人間が死んでいく映画でしたね……でもちゃんとホラーの作法があって、笑えばいいのか怖がればいいのかわからんまま終わりました。思ってた人が生き延びて、思ってた人が死んだので生死判定むずかし……まあ全員死ぬのかなと思っていたのでこんなに生き残るんだ!?の驚きがありました。
劇中音楽が好きな感じの曲ばっかりで楽しかったし、静かに音を聴かせるところはちゃんと余計な音がなくてメリハリよかったです。音響でいえば負傷して息も絶え絶えの森林警備隊員さんの鼓動が緊迫するシーンでだんだんBGMを占領したところに、聴診器を口元に持って行って「熊が」っていうところも音の使い方を知っている人のやり方で満面の笑みになりました。
案内所に刑事さんが到着したとき、車から出て一回車内に戻ったとき(刑事さんが案内所を見てないとき)に案内所内から血まみれの手がバン!!!て窓ガラスを叩くところ、そして刑事さんはそれを見ていないからそのあと外側からのショットで窓に血まみれの手形がついているところ、ホラー映画の作法ですごく良かったですね。

熊が本気出して走れば車に追いつくのも、木登りができるのも、嗅覚が鋭いのも、母グマ(メス)が子育てをするのも多頭産なのもちゃんと生態をなぞっていて、なんちゃってよくわからない生物ではない熊だったので、道民は熊の生態そのものに怖すぎて泣いてました。だって……あれが市街地に出るんだもん…………こわ……えーん……泣いちゃった。映画冒頭に「事実に基づく」っていう断り書きが入る映画の視聴歴が「オンリー・ザ・ブレイブ」だけなのであまりのギャップに情緒がどうにかなりそうでした。
登場人物が多い割にさくさくと死んでいくので、スナック感覚というのがぴったりくるのですが、それぞれの視点から描いたらとても濃厚なサスペンスだったり、麻薬の売人のひりつくようなノアールだったりができそうな要素をたぶんに含んでいるのに、これは「コカイン・ベア」だから特に深い掘り下げもなく普通に人間は死にます。と言う感じでとても……警察官のお姉さんが裏切り者だったところとかめちゃくちゃいいじゃん1!!別角度のドラマで見せて!!!!!!ってなりました。でもこれは「コカイン・ベア」だから普通にそんなことどうでもいいんですよね。
誰かの人生は本当に誰になにも伝えることなくあっけない外的要因でどうとでも終わってしまう、という自然の摂理をそのまま人間側にぶつけてくる物語でとても良かったです。まあ……あれが市街地を闊歩してるので……道民は泣いてしまうんですが………道民って括ってるけど熊が出てくる土地のすべての人間は観るときにやや留意をした方がいい。タイトルとあらすじでネタバレには当たらない情報だろうから普通にあの…気をつけてください……道民じゃなくても泣いちゃうとおもうけど……道民はひとしおなので…………いやわからん、一度互角に熊と渡りあって生き延びたひとなら完全にフィクションとして楽しめるのかもしれないけどいやわからん……俺は熊と遭遇したことはまだないので………話が逸れました。

たぶん話の流れ的にそんなことないんだろうけど勝手に伏線に感じていること、ヘンリーが先に木の幹に二人のイニシャルを掘っていたから、ディーディーのもともとの聡明さと呼応して絵の具や服を足跡として残していくのに繋がったのかなあとかなんとか。たぶんそこまで考えてないと思うよのパターンではあると思います。ちょっとクマの脅威がのっぴきならない道民たちに観てもらいたいですね……感想を聞きたい…………。
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つらつら
映画感想:「ジョン・ウィック:コンセクエンス」で楽しむわくわく工夫教育番組感。
#映画感想

今回も極めて楽しくフィクションにしか許されない人の殺し方の工夫百選みたいな映像を最初から最後まで楽しんできました。フィクションの暴力、純粋であればあるほどた〜〜のしいな!!!!って俺の中の子供がきゃっきゃきゃっきゃする。人間性が最悪。
3作目の最後、だいぶぼろぼろのぼろだったから冒頭から元気な姿を見られてよかったです。でもそのあとからボロボロになっていくんですけど……でも思ったよりボロボロじゃなかった。ゴミ箱の上にぶち落ちたりしなかったから綺麗な死に様でしたね。
以下、とりあえず言いたいこと。
・なんだそのトンチキな弓道場は。でも射手の前を横切るのは真田広之が悪いよ。コウジが悪いよ。
・なんだその国立新美術館の外観をしたコンチネンタル大阪は。
・その梅田駅はどの梅田駅なんですか……?????これが横浜駅だったら崎陽軒の店舗で現在地が特定できたのでなんの問題もなかった。
・あの背景にある槍の飾りみたいなの絶対使われると思ったのにノータッチで寂しかった。
・室内近接戦で弓使う意味 is なに!?
・至近距離戦で弓使うのレゴラス以外で初めて見た。アキラさんはだいぶ昔の先祖にレゴラスいませんか?
・野菜とか魚介類ってちゃんと書いてある冷蔵庫が武器庫だったとき声出るかと思った。そんな雑で誰でも考える収納の仕方があるか。あと剥き身の刀はやめてやれ……なんか…鞘とか…………白鞘でもいいから入れてやれ………湿度管理完璧なんですか?あんな厨房のそばで?固定資産税とか減価償却とかどうなってるんですかコンチネンタル大阪は。
・事前情報でバレではないけどバレみたいな、コンチネンタル大阪でのアクションシーンで飾られている工芸品とかは全部本物なんだよ!って制作者がドヤのテンションで語ってたインタビューみてだいぶ萎えていたんですけど(ものを大事にして欲しいので)、国立新美術館のコスプレしたコンチネンタル大阪があんまりにもネオンでギラギラすぎて結構霞んでてシーンとしては楽しめました。まあ破損を伴うシーンに本物使う意味は全然一生わからないんですけど……。
・ネオンで言えば「初志貫徹」はいいとしてその光り輝く牧野は誰なんだよ!??!!!!!
・ラストシーンも含めると結局なにしても復讐や暴力は虚しいって話ですか……?まあ死に様は生き様なので、ジョン・ウィックにとってはあれが一番良かったんだろうな。スーツを脱ぐの、いままでのこだわりとかプライドとかそういうものを全部脱いで、「あの侯爵を殺す」という純粋な一つの目的しかない魂のままの姿みたいで美しかったね。あと最後一発撃ってなくない…?って思ったらその通りで大喜びでした。30歩の距離で致命傷ではなくとも肉体からは外さない男が、10歩の距離で外さないわけがないのよ。
・たぶん2023年にかけての映画界隈でのトレンドは「車両の両扉紛失フルオープンのまま観光名所をドライブする」なんだと思う。
・「路上で突発的に予測不能な乱闘が発生しており、あきらかに加害の意図を持って運転者両側に人間が投げられた」場合の運転手への判決、前例がなさすぎて法曹界のひとびとの苦労を偲んだ。
・コンシェルジュの人〜〜〜!!!!!!!!推しでしたがまあ当然のように死にました。ただし日本公開前に役者さんご自身がご逝去あそばしているのでそこへの心の動きは終えているところあったので最後までありがとうございましたの気持ちです。スピンオフドラマ観ます。
・ちらっと見かけた他人の感想で「殺すことが目的だから三時間ずっと虚無」みたいな感想があって「ほ〜〜ん????」(ジョン・ウィックシリーズを人間がごちゃごちゃと死んでいくのを楽しむ映画だと思っている人間のきもち)と思ってたんだけど、あれは復讐とか暗殺とかそういう行為に走る人間の全てが虚無であるし人間はいつか死ぬんだよという物語でもあるのでそれ以外のなにかを求めていると確かにね…という感じ。一理ある。
・そういう意味ではヘレン・ウィックが一番幸せな死に方をしたのだな……残していく当事者にしかわからない苦しみはあったろうけど、ケアのために子犬を残すこともできたし、愛した人を愛して、愛した人から愛されたまま死んだから………ジョン・ウィックもそうですがそこに至るまでありすぎるので………愛した人を愛したまま、愛された人から愛されたまま、からっぽで死んだのがジョンウィックです。
・なぜか最後のウィンストンの「ダスヴィダーニャ」(ロシア語で「さようなら」ニュアンスは「また会おう(再見)」に近いらしい)だけ聞き取れてそれに一番びっくりしました。畳む
つらつら
Twitterへのお手紙。

TwitterがTwitterでなくなった時点で、俺たちはどこかへこぞって移動してそこで新たな擬似的環境を作り上げるべきだった。せーのでこぞって移動すれば、たとえまったく同じでなくても似たようなタイムライン形式で情報が流れてくる水流のなかに存在し得ることはできたかもしれない。
俺たちは良くも悪くも変化しないこと、ゆっくりと状況を見定めてじわじわと変わっていくこと、あるいはしっかりと現状にしがみついて体幹に力を入れてそこにい続けることに対してある種の執着を持っていて、そしてそれをじんわりと行動にうつしているのかもしれない。あるいは、うつせていないからここにいるんだろう。
変化は人間に対して多大な疲労をもたらすし、とはいえそれ以上の得るものがあればやる意義はあるけれど、あまりにも急に、そして想像だにしていなかった一介の企業が提供するサービスであるということを忘れたようなやり方の数々に、実害はないにせよ振り回されて動く気力がもうなくなっているのかもしれない。ただでさえ研ぎ澄まされた判断力を持つ俺たち、情報に安易に飛び付かず、炎上ツイートを適度にいなし、バズ稼ぎアカウントは適切に報告とブロックをしてきた俺たち。全体が大きな、止めようのない流れであったとしてもその中で確固として立ってきた俺たち。
こだわりのない人、あるいは譲れないものがあってそれがもう侵されてしまった人はすでにXにはいない。そういう人たちは賢明であったし、そうせずにここにいる俺たちもまた賢明である。優劣の差はない。いる場所が違うだけ。俺たちが人質に取られているのはいままでゆったりと好きなものやことがらで築かれてきた、ゆるやかで、暖かで、それでいていざというときにはささやかながら力を添えられるような、そういうTwitterの理念の中で培われてきた人間関係だ。それを丸ごと移動するのはちっとも現実的な話ではない。
俺は移動する、あなたがたもそこへ来てくれなんてどうして言えるだろう。あまりにも俺たちは自他の区別が適切につくし、後方なくても人には人の都合があると前提としてわかっているし、東に仕事への恨み言を吐くフォロイーがいればいいねして労いを送り、西に体調不良で起き上がれないフォロイーがいれば返信不要の励ましを送ってきた。
プラットフォームが自発的に俺たちをどこぞのいい環境へ送ってくれるならまだしも、このオンライン上でのサービス乱立時代にすべてのアカウントとパスワードの管理という重大な責任を負い、慣れないインターフェイスや細かな部分で異なる機能へ適応するにはあまりにも個人差がありすぎる。俺たちはあまりに自他の区別がつくから、無責任に他人に行動を強要しないしできない。
だから置き手紙のように「どこそこにいる、気が向いたらきてくれ」と残す。残すことしかできない。あるいはそうやって「いざというとき、俺はここにいる」と指標を掲げてずっとXとかいう発信側にしか都合のよくなくなったプラットフォームで文句を言い、熱量をもってなにかを語り、体調不良のフォロイーに労いのいいねを送る。
ひとつのサービスの終わりを見た。そこから始まったのは、俺たちとは随分方向性の違うなにかだ。俺たちはそこがTwitterでなくなった時点でどこかへこぞって移動すればよかったのだ。問題はその移住先がなかっただけで。なくても十分やっていけるほど、Twitterというサービスはこの世の一角であったというだけで。
俺たちがいまXというプラットフォームに困惑すればするほど、良くない面も多々あったがTwitterという環境が与えてくれた安寧がどれほど尊い存在だったかがわかる。戻ってくるかといえばおそらくもう戻ってはこないあの環境を確かに愛していました。畳む

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