No.73, No.72, No.71, No.70, No.69, No.68, No.67[7件]
つらつら
映画感想:高度に発達した菌糸類の世界は宇宙と区別がつかない。
「素晴らしき、きのこの世界」を観ましたの感想。#映画感想

きのこ、食べ物としては全く一切ほぼ全部を受け付けなくて(ぎり舞茸とえのきがいける)、幼少期から「俺たちは別々に生きていこうな」ってもののけ姫みたいな一方的決別をしていたんですが、食べ物ではなくもっと大きな幅広い視点かつきのこたちが持つ細胞や神経への作用に対してのピンポイントな視点が同時に存在している化学や医学からのアプローチはめちゃくちゃ面白かったです。
ただ俺は以前に地球環境系ドキュメンタリ(NetflixがYouTubeで公開している「Our Planet」シリーズ)を観ており、海洋環境についてクラゲが取り上げられた際に「人間の役に立たないから研究が盛んではない」ということを情報として持っているのでその辺に関しては「おあぁ……(人間に有用な部分があるからこうやってあらゆる人たちが研究をしている)」にもなりました。

途中できのこの成分が癌に効く、という要約するとやば代替医療みたいなくだりがあるんですが、それもきちんと前段階として「きのこが持つ幻覚作用が人間にどう作用するかの研究の一環であるみたいな段落があるし、研究者自身が「敬意と注意を要する」ってきちんと言ってくれているので良かったです。
幻覚作用のあたりはどうしても科学的にまだ観測できないようないわゆるスピリチュアル、超人的、言葉にできない体験、とかそういう類の話になってしまうので折り込むの難しかったろうな、と思うけれど、主題としてとりあげられている研究者の人が過去にマジックマッシュルームを規定量かもわからず摂取した結果ずっと悩まされていた吃音がそのあとから収まったという体験がある人なので、これは視聴する側での留意や確認がつどつど必要なやつだな……と思いました。ドキュメンタリと言ってもね、人間が喋ってる分には多大にその人の主観が入っているので、その辺をきちんと観る側が情報を選別してから信じる信じないにつなげていかないといけないところありますからね。人間が出てこない動物や植物に関してはそのへん主観が伝わらないからまた別の留意が必要なんですけど。
あとその人が読んで感銘を受けた本の著者がエキセントリックドラッグキメキメ模様みたいなきのこ柄のTシャツ着てて手叩いて笑った。いいですね。

上記のらへんで語られる「きのこ由来の幻覚作用がアルコール依存症の改善に有用」からの「それが世間一般に広まってしまい、米国政府が規制に動く」までの物事の流れがあまりにも人間すぎて「人間は愚か………」が口から飛び出してくるんですが、今持って世界は常にそうやって動くし、俺たちがまったく正確な情報に触れられているかというとそうではないし、そもそも研究途上で弾き出された結果としての情報はその時点での結論でしかなくて今後もずっと変わっていく可能性や検証によって覆る可能性がずっとあることをきちんと把握していなければいけないんだな、と昨今の身の回りを見て思います。
そして余生における優先順位を考えましょう、とまで言われた癌患者さんが幻覚作用を摂取して(医師監修のもとでやってる合法的なやつです)言葉にできない体験をしたときの感想がすごく良かったです。自分は愛されているし、自然は愛でできていて、そのなかの一つでしかなくて、すべてはつながっていて、自然とはいずれ死ぬものだから死ぬことが怖くなくなるっていう、きっとずっといつその時が来るかと怯え続けていたひとにとっての真の安寧にほど近いものが得られるのなら、とてつもなく注意は必要だけれど本当にそれを必要としているひとたちに届くといいなあと思いました。一つの情報しか得ていない素人一般人の感想だけど。
愛と死と生物としての自然との連続性、一見関係がなさそうですべてがつながっていて、人間が自然に頓着しないということは翻って人間がいずれ身を滅ぼすことになるという、全部連なっていることがらの輪郭がなんとなく見えるか見えないかの違いなんだろうな。

本題と全然関係ないような気がするんですが、けっきょく世の中のあらゆることの解明ってこの映画に出てくるような何か一つのことに熱中し、取り組み、試行錯誤を厭わずそれをマイナスな行為だと思わないひとびとによって為されていって、もちろんそうでない性質のひとが理性や義務で取り組むこともできるけれど、そうじゃないひとたちに圧倒的に天賦の才と読んでもいい有利さがあって、肉体や精神的なことで失われることはあっても心身ともにそこそこ健康であればその熱意や注意は損なわれることが基本的にはなくて(一回創作やってても心身の均衡ですっ転んだからめちゃくちゃ予防線貼ってしまうくだり)、そういったひとたちをネガティブな意味での呼称(オタクとかいろいろ…もろもろ……直接的にキモいとか言われるし……)を用いて一括りにするひとたちって、なんとなくの偏見だけどスポーツやその時持っている若さなどのこれから衰えて失われていくことがある程度約束されている要素の中に自分を見出したひとたちなのかなあとぼんやり思いました。

なんにせよ、人間にとって有用な分野が今後も伸びていくといいし、一見なんの役にも立たないけれどなんかやりたかったから、で研究が続くような社会が今後もずっと続いて欲しいなと思いました。
「理解すれば興味が湧いて、興味が湧けば守りたくなる」という言葉がものすごく良かった。あと幻覚成分が世間一般に広まるあたりで「フラスコの外に出る」みたいな言い回しを原語でしていてめちゃくちゃ良かったです。
きのこ、人間の生き死になんかに全然振り回されないまんまこのまま地球上を生き延びて欲しい。俺たちに構わずただ淡々と存在していて欲しい。言われなくてもしているから、今後もずっとそうあれ。畳む

つらつら
映画感想:金属生命体による自発的な同時多発交通事故は健康に良い
「トランスフォーマー/ビースト覚醒」の最初から最後までネタバレを含みます。タイトルちょっと意味わからないかもですが、アクションシーンのことです。#映画感想

推しが!!死んだが!!!!!?????
いえ、これについてはもうトランスフォーマーシリーズ実写版全作品、その作品で好きになったキャラが死ぬという脅威の致死率100%が更新されただけなので全然良いんですけど、よくないが?!?!?!!!!!!!!!よくないが!!!!!!!!!!!!死ぬな!推し!!!!!!!!!!!!
エアレイザーさん……大好きだったのに…………………しかも帰宅して調べて知りましたけど声、ミシェル・ヨーじゃん…そんなの格好いいに決まっている………オプティマスプライマルとの戦友感もすごくよかったですね…とても……俺はあそこに関係性を見出しましたよ……まあ…死んだんですけど…………………どうして………………。

一旦本題に戻ると、俺が人間と人間以外の種族が出てくる物語に求めているものって「人間の世界のことわりなんか知ったこっちゃないよ〜」という人外(あえて人外と一括りにします)側の全然噛み合わない行動理由で生じる人間への理不尽さなので、その点で言えばトランスフォーマーシリーズは全実写版がすべからくそれなので大好きなんですね。
今回ももれなく「俺たち公共の施設(壊滅する博物館)とか知りません」だったし「追っかけられてる!逃げなきゃ!(大破するパトカー。まあよくある)」だったしめちゃくちゃよかったです。前情報予告くらいで何にも時代設定とか知らずにいったので急に1994年をお出しされて「ん?!い、いつ!?」になりました。この世に存在はしていたんですけど全然覚えていないくらいの年代だな……世界の雰囲気がわからない。でも変に時代が最近のせいでノイズに感じるモブの行動(スマホで撮影する行為とか。まあそれが薙ぎ倒されるのは観てる分には大歓迎なんですけど)がなくって、すっきりとした環境で金属生命体たちの動きに集中できたのはあります。むしろそのためなのかな、変に人間をちょこまかさせると金属生命体たちが困るので。いいな、人間以外の種族ファーストの姿勢、好きだな(そうではないと思うよ)

本編中盤からクライマックスにかけてペルーの自然豊かな森林でどったんばったんおおさわぎ(けものフレンズ)だったのできゃっきゃしてました。なぜなら俺は古代文明が好きだから、マチュピチュにも当然心をときめかせているから。遺跡、いつぞやのピラミッドみたいにぶっ壊されたらどうしようと思ったらそこは比較的平穏で「そんな凶悪な山があるか」という凶悪な山が生えてたので安心しました。もうあの塔が出てくるところLotRの二つの塔でしたね、オルサンクではないです。
塔で思い出しましたけど、どうしてトランスフォーマーシリーズのいわゆる悪属性側って車のデザインとかあらゆるデザイン面で「悪!!!」みたいな嫌なデザインしてるんでしょうね。あの斥候というか小間使いロボ(犬みたいな形の壁とかから出てくるやつ)も口の中にそんなギザギザ要ります!?みたいなデザインだし、なんかもう暴力に全振りしましたっていうデザインでいっそ気持ちがいい。見ていてわかりやすい。逆にそういうのじゃない、オートボットやマクシマルたちに近いデザインで悪役みたいなのも出てくるのかな。それはあれか、二作目でやったザ・フォールンがそれにあたるのかな。一応初代プライムのひとりではあったし。この段落ずっと「リベンジ」の話してる……。

細かいところだと最初の主人公が面接を当日キャンセルされるくだりとか、インターン生のエレーナに自分の服のクリーニングという明らかに業務外のことを押し付け、その上で手柄を横取りする上司とか(エレーナの遅刻に関しては原語の方で「three times」だっけ、とにかく複数回目であることが示唆されていたのでそこに同情はできんが……良いように捉えるならあんなふうに毎日遅くまで研究のために居残りして疲れて寝てしまって生活がぐだぐだとも取れるけどそこは生活してもろて…にちょっとなる)、人間社会でどうしたって避けられない構造上の抑圧にぐえ…となるんですが文字通りそれをぶち壊す金属生命たちたちの構図がいつ見ても美しい。
「バンブルビー」の続編の扱いらしいのもさっき調べて知ったので、「バンブルビー」の内容を思い出すのに必死なんですが、確かにあの映画の続編ならオプティマスが人間を信用していなくてもおかしくないし、まだ自分の故郷への帰還にやっきになってる時点なのもなるほどな、なので時系列に違和感なく溶け込むのがうまいですね。本当に映画作りがうまい。
最後のGIジョーのくだりだけわからなかったんですけど、過去にクロスオーバーしたことがあるらしくて、次回以降いつでもクロスオーバーできるような伏線だったぽい…?わかりませんが双方の作品にとって良い結果になるといいな〜。

ミラージュ、とても好きだっただけに最後の最後で「あ!?!?!!!!!そうなる!?!???!!!!!!!」ってなったし、途中で自分の一部を人間に装着できる形状で貸し出すのも伏線だったので気持ちがよかったです。画面上に写るもので回収されていない伏線がないのでは?映画作りがうまい。
あとバンブルビーが一回死んだのでマジで「俺の推しを殺す力がビーにも及ぶことある!?」になりましたが、予告映像で上空から落下しながら戦闘に参加するシーンを見ていたので「あこれ途中で生き返りますわ」になりました。なんでエアレーザーさんは生き返らないんですか…?もうサビサビだったから……?どうして………。
エネルゴン洞窟の中で岩座に横たわっているバンブルビー、マジのお姫様でしたね。トランスフォーマーシリーズのヒロイン、バンブルビーなのでは…ラピュタで言ったらシータの趣がありました。あのシーン。エネルゴンは青く光るしね。パズーがだいぶゴツいというか、自立しているシータになるんですが………戦闘員だし……。

さておき、オプティマスが「that is bad idea.」(それは悪い考えだ)みたいなこと(聞き取り不安)言ったとき脳裏をコンボイが「わたしに良い考えがある」って言いながら通り過ぎていって劇場で大声出るかと思いました。
あと主人公に車泥棒を勧める近所の人がずっとあのアメリカで一番まずいグミでしたっけ、とにかく評価が最悪のあの赤いネジネジのキャンディ食べてて「剛のものじゃん……」って思ってました。あれ美味しくないらしいので……食べたことないけど……。
そしてトランスフォーマーシリーズは低音をはじめとする「音」の部分がものすごく重要で大切な要素なので、頼むからDolby Atmosで2D上映してくれ〜〜〜!!!!!!!って3D酔いする人間は叫んでいます。たのむ、IMAXでもいいから2Dでやってくれあれを………。畳む

つらつら
映画感想:「探偵マーロウ」の静かで正当な、横におしゃまさんを置きたさ。
おしゃまさんのくだりは完全に本編と関係ない俺の願望がはみ出ました。#映画感想

いやだって………長身で散々作中でも「でかい」って言われてるならあの時代としても相当に大柄の部類でいらしたんでしょ、マーロウさん。であれば!であるならば!ちょっとおませないいとこのお嬢さんをお隣にね!できれば5、6歳の自立もできるお年頃のね、賢いお嬢さんをね、こうね!配置するとね!世界が完璧になるんですよ。完全に余談から始まるタイプの感想文。本編に行きます。

あらすじというか話の流れは謎解きそのものやトリックの解明、複雑に絡まった陰謀、派手な逃亡劇…!というタイプではなく、王道のただひたすら地道に自分の足で調査する探偵ものです。なんとなく本編全体を通して「地に足をつけていること」が徹底されている印象でした。
我々はおそらく一度通過した基礎の基礎部分をもう忘れてしまって、直接的に摂取できる刺激をド派手なカーアクションとか肉弾戦とか緊張感極まる頭脳戦とかよくわからないけど技術の粋がつまったガジェットとか爆発とか、そういうわかりやすい視覚や聴覚から摂取できるものだと思いがちで、数字が簡単に見えてしまう「バズ」が目指されている取り組みがそこかしこにあり、おおよそ一人一台はスマートフォンを持ってネットワークに接続されて情報は以前よりも遥かに簡単に手に入るようになっているのが現状(その真偽は別として)。
その中で、だからこそ、本人が知らないことは知らない、見てないこと聞いていないことは知らない、相手が嘘をつけば欠けたままの情報がずっと残るだけ、という探偵もののものすごく基本的で大切な部分に忠実な話だったなあと思います。

どうしても推理小説好きでいろいろ読みあさって育ってきたので「顔が潰れている死体の身元確認はしっかりしろって百年以上言われているでしょ!!」っていう謎のおかん部分が顔を出しましたし、再現映像で思いっきりきちんと頭轢いてて自宅で見たら500デシベルくらいの大声出して手叩いて笑ってたシーンでした。そこまできちんとぐっちゃり轢くやつがあるかい!(あります。PG12だからね!一応ね!)カパキョンみたいな音出てて、ふふ…になりました。
途中から出てくるセドリック(運転手)がす〜ごい好きですね!またお前はそういう役回りを…死にませんでした!!!!(朗報。フォントサイズ300ptは最低でも欲しい宣言)登場人物たち、基本的にみんな自分の信念に基づいて行動していて、自由に見えるのだけれど全然自由とは遠くて、檻の中にいてままならなくて、欲しいものは手に入らなくてずっと足掻いていて、自分の足元が揺らぐのを恐れるくせに他人には横暴で、人間味があって楽しかったです。

ただ、全体の規模の割に名前がしっかり出る登場人物が個人的には多すぎてもうちょっとそれぞれの掘り下げほしかったなあ…という贅沢が出ます。クレアの夫とかそこまで…いる……!?と、これは本編を最後まで観た人間だから言えるわがままのたぐい。
途中で出てきた馬の様子がなんとなく落ち着かなげでちょっとソワ…としたけど…俺はうまが好きなので…ちょと気になったけど……でもあれで大丈夫なサインなのかもしれないし…人間以外は傷ついたり死んだ理しないのでいい映画です。動物が傷ついたり死んだりしないで、殺した人間がちゃんと死ぬ映画はいい映画です。フィクションでだけ許されることなので。

俺なら住人不在の家に行ったら初手でドアのガラス割って内側から鍵開けて入るな…と思ったけどあの映画のほぼ唯一の良心はマーロウなのでそういうことは起こりませんが、途中で起こります。初手でやらないの、お行儀がいい。シンプルに考えて最初から不法侵入はやり方が早急すぎるのでやらなかっただけなのですけど、途中できちんと不法侵入してて「い、今ここで!?お行儀が…よい!」になってしまったので、俺が普段どんな気持ちで推理小説とかミステリものに向き合っているかがバレてしまいますね。はい。俺なら初手でやります。
警察側の人たちも良心的と言えばそうなんですけど気遣いの出され方が淡白で小粋なので初回だとちょっとわからんかも……ただこういう「わからなかったな」、と思う表現をぶつけてくること自体が、上に書いたような『目指すところの一つではあるのだけれど俺たちはそれをやらない』という直接的でわかりやすい刺激としての表現ではない方法だったのかな、と勝手に思います。
舞台がハリウッドなのは原作がそうなのか読んでないのでわからないんですが(推理小説系はもっぱら国産で育ちました)、時代背景を抜きにしてもそのときそのときで自分ができることを最大限やる、という姿勢が一貫しているので観ていて安心感があります。マーロウが一貫して自分の信念に基づいているため(ちょっとやりたくねえなみたいな顔はするけどそれは役割に対してなので)、他の登場人物がいままでそうやってきたのであろう人を籠絡する手段が全然通じてないのもよかったです。色仕掛けなんも通ってない。ダメージ0。完全防御。それはそうよ。

薬を盛られた酒を飲んだふりして相手の懐奥深くに連れて行かれるあたりとかもスパイ映画の王道要素で、今はもう使い古されたとして見向きもされない手法が実に当たり前で普遍的な手段として用いられているか、そしてそれが決して見えはしないけれどたぶん世界中のどこかで今この瞬間にもおそらく起きている(捜査うんぬんではなく単に犯罪行為として被害者と加害者の構図で)、といううっすらした現実への反映が観る側のリテラシーによっては問題提起力(ぢから)がすごいな…という感想にもなりそうな映画です。

静かでずっと一本芯の通った、さわやかな後味ではないけれどまあ確かに人生に冒険が起きたとしてこのくらいだし俺は生き残れないな、と思える映画でした。
ところでリーアム・ニーソンってスターウォーズエピソード1のクワイ=ガン・ジンなんですね。全然知らなかった。俺の人生の最初期で死んだ俺の推しキャラでした…こいつまた推しが死んでる………。

キャヴェンディッシュの名前にずっと「絶対知ってるすぐ思い出せないけど…」となっていたんですが、思い出しました。自転車競技選手のマーク・キャヴェンディッシュ氏です。ついこの間(5月22日)にジロ(自転車レース名)で現役引退発表してて「ノァ………」になったからでした。余談。畳む
つらつら
映画感想:「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」を観ました。
全編にわたってだいたい「どうして」って言っています。どうして。#映画感想
長官が死ぬのは聞いてないですねぇ!??!?!!!って45000dBの声を出したんですけど、俺の推しはどうして死ぬんですか?致死率がマジで98%くらいを切らないんですがどうしてですか?死に様は生き様ですけどそれが見たくて観てるわけじゃないんですよできれば天寿を全うなさって?!?!?!!ぜぇはぁ、息が切れる‥…………どうして……なんやかやありつつも定年退職してカルフォルニアでサーフィンするイケイケじじいの名をほしいままにする余生とかを送れ………どうして……………………だから最新作でキトリッジさん出てきたのかな……ホイホイと長官の席を不可逆の理由で不在にするんじゃない……………………………どうして…………。

気を取り直して感想なんですけど、相変わらず物騒に次ぐ物騒、most of the BUSSOU、そうはならんやろなっとるやろがいのオンパレードで手叩いて喜びました。フィクションの中でだけ許される爆発と暴力とよくわからん理論と破壊と名前のない雑魚と定められたモブたちの雑な死はなんぼあってもいいですからね、フィクションの中でだけ許されてる最大のものだから。
冒頭のイージュリはご褒美なんですか?って思ったらジュリア本人出てきて「ジ゛ュ゛リ゛ア゛…………」みたいなジュリアを最大限拗らせたオタクの喉からしか出ない音を出しました。お、おれは…おれはイーサンとジュリアもでっかい庭付きの一軒家で気性の優しい人懐こい大型犬(できればゴールデンレトリーバー)を飼ってほどよくご近所付き合いをしながらまったりとなんの心配もなく暮らして欲しいという願望が非常に強くあるので……。

ご覧になりました?!最後の医療テントのベッドで目覚めた時にジュリアを見て喜びとかそういうのより先に「現実かどうか」を判断せざるを得ないイーサンのあの!あの目!!!!!おい!!!!!世界!!!!!!!!!おまえ!!!!!!!!!!マジでイーサンにあんな顔させる世界は俺が滅ぼした方がいい……俺が悪になります。そしてイーサンとイーサンの大事な人以外の全てを燃やします。でもそうするとイーサンが仕事をしないといけなくなるので悪を全て燃やす圧倒的な善になるしかない……人間を狂わす……………どうして…………………世界平和がないとイージュリが安心して暮らせないなら俺が世界平和をつくります……やります……………………ウッッッッッ…メタなこと言うとトム・クルーズがイーサンを自分の可能性の擬人化として扱うので無理なんですけど………………………どうして………………。

全然気を取り直せてないのでほかのことも言うと、ホワイト・ウィドウちゃんめちゃくちゃ可愛くて大好きでした。わかりやすい好みをしている。最新作の予告でずっと「この可愛い子は誰じゃ……………」ってともすれば人身売買してる人ですか?という感想をずっと抱いていたので…最新作にも出てきてくれるの楽しみすぎる!でもイルサの眼帯がだいぶあの!あれは一次的なものですか?!永続するやつですか!?イルサは隻眼でも全然強いと思うんですけどできれば五体満足でいて欲しくて……いやでも隻眼でもめちゃくちゃ好きです……はい…最新作に向けての履修のはずなのに各キャラを好きになっていくから不安しか高まっていかない。どうして。

M:Iシリーズ、基本的に回を追うごとに要素が盛りだくさんになっていく(そしてイーサンが無茶をしないといけない)のでお腹の底の方がずんぐりと重たくなっていくんですけど(推しも死ぬし。本当にどうして)、これはトム・クルーズはじめとする製作陣が楽しいだけであってイーサン自身は別にやりたくないっていうところがミソですよね…世界を燃やすしかねえ………どうして。
イーサン、なまじっか変装などを得意とするので人物のプロファイル能力が高すぎて明確な夢に敵役の人間を召喚してしまうの完全にかわいそうで世界を燃やすしかないと強く思います。やめろやめろ。最新作で「イーサンの幸せのためだから」っていって世界を燃やそうとするテロリストが出てきたらそれは俺と俺たちの総代表です応援よろしくお願いします。

イルサもなまじっか頭が良いのでイーサンご一行に急に巻き込まれて「なんとかする」っていう手法のみが選択されている状況を一瞬で「こいつらいつもこんなやべ〜ことやってんのか(そしてそんなやべ〜ことが起きてるんだな)」っていう呆れと納得と悪態が一緒くたになった表情してて「この人頭がいいな……」って思いました。そうだよ、常にそうやってるよ。
イルサがイーサンを徒歩で追いかけるシーン、あれ前作のイーサンがイルサをバックステージでちょこちょこ追いかけるシーンの反転なのかなって思いました。そう言う細かい要素たまに出してくるよねM:Iシリーズ。好きです。

あと交通事故からの重要参考人確保からの偽病室尋問、二作目のアップグレードで手叩いて喜んじゃった。俺はそう言う再放送(ただしクオリティは現状に即してアップデートされているものとする)が好き。
ところでイーサンとジュリアはおいておくとして、イルサとベンジーはなにか始まらないんですか?関係性が?ちょっと待ってください?あんな命を助けあいながらなにも?ベンジーだって可愛いマスコットポジションですけどやるときはやるでしょ!イーサンがウォーカーくんのこと追跡してるときずっと「平面と立体の視点の差だ〜!」ってきゃっきゃしてたら途中でそのことに気付いてもっと嬉しくなったので(俺はなぜかこう言う観客にだけわかる差異が平然と作中人物には感知されずに流されている状況が好き)ベンジーにはもっと頑張って欲しいけど自分を大事にもして欲しいです。

最新作二作でルーサーが死ぬことはないと思うんですが、これ以上俺の推したちが死んだら本当に世界を燃やします。イーサン、みて、きれいだね、なにもないよ。きみが命がけで何かと天秤にかけて護るものはもうなにもないよ。それがいちばんいいんだよ。わらって。畳む
つらつら
映像感想:「ステルス・テクノロジー 兵器最前線」シーズン1エピソード2だけ観た。
なぜなら軍用機のオタクだから。擬人化の民なのでちょいちょいそういう表現があるし扱ってるものが軍用機なので人を選びます。タグの統一のために #映画感想 にするけどドキュメンタリー作品です。

そもそも2004年のドキュメンタリー作品なので画面のアスペクト比が4:3だ!絶妙に良い感じのアナログノイズ感だ!と映像そのものに感動する間もなく、SR-71だF-117だB-2だB-1BだなんだかんだF/A-22(※1)だF-35だとステルス機のあゆみを全部おさらい!みたいなコンパクトさで次々と情報が降ってきて飽きない構成、うまいなあ。45分しかないというのもあるのかもしれないけど、時間の使い方と時間に対して取り入れる情報の取捨選択が上手い。
※1…F-22こと愛称ラプターくんは2002年に型式が「F/A-22」になったけど、2005年(この作品放映後)にF-22に戻ったので放送当時はF/A-22だった。

ステルス機、といえばおそらくだいたいの人がF-117を思い浮かべると思うんですが、それだけではもちろんないので、出るわ出るわ過去に好きで擬人化した機体たちが全部! でも競争(コンペティション)に敗れた機体はもちろん全然触れられもしなくて「歴史は勝った方が作るんだな…」をこんなところで感じると思っていなかったよ。新しいタイプの寂しさだな、これ。
F-22(打つの大変なので現在の型式でいきます)ラプターくんが各天候への耐久性試験で、屋内だけど雨や風を再現できる施設の中でめちゃくちゃ雪に降られて機体にごっさり雪が積もってたの可愛いすがたでした。あとラプターくん登場時の空軍の人のコメントが「(いままでの爆撃機※2などと異なり)ラプターは真の戦闘機です」みたいなこと言ってて悪い笑いが出ました。あと機体自体の格好よさって中の人も気にするのか「地上でも空中でも格好いい!」みたいなことも言っててにこやかになりました。急に人間味を出すな(人間ですが????)
※2…F-117の「F」は「Fighter」(戦闘機)の頭文字ですが、実質的にF-117は攻撃機的運用をされている。飛ぶの夜間だったし、そのほかにも機体にいろいろ制限がありすぎたのだ。

後半は開発途上の無人機にも触れられていて、将来的にはオンラインゲームが得意なオペレーターたちが無人機を最大4機同時に操作することを目指しているとかなんとか言ってるんですが、このあとに生まれた現状としては無人機パイロットのPTSD問題とかそのへん…そう……まだ夢があったよねこのころはね………という時代を感じるなどもしました。
そもそもこの番組自体がプロパガンダとしての素養を多く持っているのは判っている上で観てますし、過去の時点を一部分からのみ切り取った映像作品であるということも理解の上で観ているんですが、有人機に対して「パイロット(人間)を失うこと」を危惧して無人機の開発に注力している人間たちが、種として同じ人間たちにも被害が出るであろう作戦を自らの功績として語りながら同じ口で「戦争の犠牲者は少ない方がいい」とのたまうの、に、人間〜〜!!!!!!人間のあくまで片方からの、お、おわ〜〜〜!!!!自分に正義があると思っている人間の!!!!!ってなって吐くかと思いました。

俺は確かに軍用機も含めた無機物のオタクをやっていますが、絶対的に戦争には反対だし武力で抑圧し合うなんてことは可能な限り少なくかつ影響の及ぶ範囲が小さくあるべきだろ世界、と思っているタイプなので、毎回この辺は「技術の進歩や新しい性能がうまれるきっかけ、開発者たちがその無機物に託した夢やその無機物が成したこと、為せなかったこと、残したこと、残せなかったこと、残したかったこと」という残渣に勝手に物語を見出しているだけで、とはいえ戦争という出来事がそういう技術面を一番後押しするということもわかっているので苦しみます。
苦しみながら無機物のオタクをやっている。どうして。でも好きだから……なにかに執着する人間が一種俺たちにはわからない熱量でトランス状態の様相で語るそのものへのその人が思う愛の話が好きだから……それは祈りなので……答えるはずのない無機物への祈りなので………でなければどうして彼ら彼女らが自分たちの手がけた無機物を「he」と呼び「she」と呼び習わすことが連綿と続いているのか…………。

ともあれ作品最後の方でも言われていたように、無人機からのディスプレイ越し映像では判断できない誤射の可能性を潰すために有人機は決してなくならない、という発言からけっきょく人間が人間同士でものごとをやるための手段として計画設計製造運用される無機物たちと、そこに人間が勝手に祈りを覆いかぶせたりそんなもの一つもなかったり、愛称をつけたり人間のように呼んだり愛着を持ったりの、全部いびつでしっちゃかめっちゃかな片一方の理論だな!と思いました。この視点は忘れないようにしたいね……格好いい無機物、好きだよ。畳む
つらつら
映画感想:「おやすみオポチュニティ」を観て顔面が火星のように乾燥している。
なぜなら爆裂に始終泣いていたからです。鼻が痛い(かみすぎ)#映画感想

めちゃくちゃ頭がぼんやりしている………でっけぇ愛の話だった………。ドキュメンタリなのでこう、フィクションのようにストーリーのためだけの展開とかはなくて、ただあったことだけがドラマ性を帯びすぎているという一種「小説より奇なり」を地でいっている。野暮なこと言ってしまうと国家予算があるからとかそういうもにゃもにゃ性が出てきてしまうので今回は安全地帯からものごとを眺める俺を頭からかぶって書きます。

もともと無機物擬人化をやっていて擬人表現のすべてに弱い自覚はあるんですが、冒頭10分もしないうちに関係者の人が「スピリットとオポチュニティは双子(twins)で」とか言い出して椅子ごとひっくり返りました。どうしてそういうことするんですか!??!!!!!俺のための映画ですか!??!?!?!になったし、スピリット(姉)は故障や問題が多くてオポチュニティは優等生、とかいうそう言う創作設定大好きな人間たちを多く知っているぞ…みたいな発言も飛び出してしばらく床に転がり続けるしかないのかと思いながら起き上がりました。
人によってはずっと「she」って呼び続けてて、人によっては「オッピー(Oppy)」(原題は『Good Night Oppy』、オポチュニティの相性)て呼んでいて、動き出すことを「命を吹き込む」と言う人がいて、ただの電子基板と電線のかたまりが”命”を得てロケットに搭載されて宇宙へ行き火星へ向かうことを「我が子が」と表現する人がいて、に、人間〜〜〜!!!!!人間が無機物に向ける親愛の情〜〜!!!!!!と感情が大爆発してそこからもうほぼずっと泣いていました。
あと火星での1日のことを1「ソル」と呼ぶ新しい単位も知れましたね。ひょんなことで増える知識、好き。

最初の着陸時に10分程度信号が受信されなくて、着陸失敗か…?と部屋中が静まり返って息を潜めているときに祈る人間の表情はいつでも一緒なんだなあ、と思いました。
宇宙飛行ステーションに滞在する宇宙飛行士への伝統である”目覚めの音楽”を、伝統に則ってローバーたちにもやろう、と思って実行するところとかも、もうすでにひとつのいのちとして扱っててそういう細かなところでも涙腺がじわじわと刺激されているしで本当にこういう心の動き方をした映画を観たことがなかったのでずっと戸惑いながら「なんだこれ…」って言ってました。なんだこれ。いまもまだわからん。でも俺の葬式には流してくれ(怪奇!葬式に来たと思ったら火星探査機ドキュメンタリ観せられる会場!)
少し前にTwitterで日本人以外は特に信仰宗教の教義により、人間以外に知性を見出さないみたいな主語の大きいツイートを見かけた気がしたんですが主語巨大ツイートとかそういうのを差し置いても全部(範囲でか表現)嘘だな…と開始10分で思いました。これ余談。

目覚めの音楽の伝統はいつからか取りやめられてしまっていたのだけど、オポチュニティの目覚めを期待して再開するとか、人間が音楽に込める祈りそのものじゃん…!にもなったし、なぜ宇宙を目指すのかといえば古代文明でも星を見て暦が作られていたように人類は遥か昔からずっと星と共に生きていたよ、という発言にすべてが連綿と繋がっている歴史であると言うことにめちゃくちゃ泣いたし、いまはあらゆるものが細分化されて専門化されてただそれも通信技術で場所を問わず情報に気軽に触れられるようになって垣根がないようで大きくある世界になっているけど、人間はずっと星を見てそれを生活に根差し活かしてきたと宇宙に一番近いところにいる人たちに言われてしまったらもう、そうだねって泣くしかないんですよ。

途中でね、途中でスピリットが動けなくなって任務が終了してしまうんだけどね、というかこの二機はすでにすべての任務を終えているのでどちらも活動を終了しているんですけど、スピリットの責任者の人が「ハードワークだったから疲れていたんでしょう」みたいなこと仰ってて莫大な愛をくらって泣いていました。
同じチーム内でもエンジニアと学者たちが「あっこの岩いこうぜ!」「(ふざけんなよのまろやか表現)」みたいなやりとりもあったって言われてて畑が違うひとたちのそういうのNASAにもあるんだな、とにこやかになりました。ふふ。

ずっと幸運のピーナッツが引き継がれていたり、なんだりかんだり、本当に良い映画ですよ……良い側面しか描かれていないのだろうということを差し置いても………最後はパーサヴィアランス搭載のロケットが発射されるところで終わるんですけどそれがもう、俺は「過去の失敗や成功や得られたデータを活かして”次”につなげるための一石」が投じられる映像に弱いので爆裂に泣いていました。始終泣いているのでどこが一番かって言われてもわからんけど……うっ……俺は甲子園のサイレンを聞いただけでそこに至るまでにあったであろう各自や関係者の努力や切磋琢磨、切り詰めたであろうこと、取捨選択、挫折、回復などが勝手に想起されて泣く人間なので……………全ての創作で「それでも、」をやってきた身としては常にその繰り返しをやっているひとたちとその成果として運用されるローバーたちに感情移入しないわけがなかったのよね…………という感想文でした。はあ〜……俺の葬式に参列した人間全員これでブチ泣かせたい。畳む
擬人化:昔の絵のまとめ01
2011〜2018年ごろまでの一枚絵をなんとなくまとめました。#GAS

20230524204228-admin.jpg 202305242042281-admin.jpg 20230524204228-admin.png 202305242042281-admin.png
20230524204302-admin.png 202305242043021-admin.png
20230524204337-admin.png 202305242043371-admin.png 202305242043372-admin.png
20230524204413-admin.png 202305242044131-admin.png 202305242044132-admin.png 202305242044133-admin.png 202305242044134-admin.png
畳む


散る散る満ちる。TOPに戻る